11月22日(土)朝早くから名護の街を5時間歩きまわった。
北部病院横のコンビニでさんぴん茶を買い、ちびちびと飲みながらのウオーキングだった。
名護中学→お墓→名護高校→21世紀の森→津嘉山酒造所→飲み屋街→市場→ピンプンガジュマル→昔住んでいた所→同窓会会場ホテル→名護城
撮った写真は100枚を超えた。
あんまりいい写真が無いのが残念。
名護城の写真は次回に回し、今日は主に21世紀の森の写真です。
21世紀の森に着くなり、虹が見えた。
私と同じように、これはすごいとカメラを虹に向けている方がおられた。
この21世紀の森には日本ハムファイターズのキャンプで有名な野球場以外にも多数の運動場がある。
3連休とあって、どの運動場でも多数の方が集まって野球の試合をしていた。
野球場近くのスタジオエースさん。
同期の方が経営されている。
私が小さい頃住んでいた近くの写真館の息子さんで同じ歳です。
3年前私が家族で名護に帰った時、わざわざ幼馴染に電話していただき一席設けていただいた。
本当に感謝しています。
9時前にもかかわらず、きれいな着物を着た若い女性が何人か店におられました。
何かの記念写真を撮りに来られたのでしょう。
大きな地図で見る
21世紀の森の中間ほどに石の門があった。
門をくぐると
そこは闘牛場だった。
闘牛場の前は名護湾の砂浜になっていた。
おもしろいのを見つけた。
鳥が何羽も波打ち際に集まっていた。
魚を狙っているのだ。
川で狙うのは見たことがあるが海は初めてだ。
投稿する時間が無くなってきた。
続きは明日。
今日の仕事は明日まで続くので、明日朝になります。
急いで仕度しないと会社に遅刻だ!
ここから続きです。
昨朝仕事から帰ってきて書くつもりだったが、脳が活性化していなかったので今朝≪11月27日金≫になった。
津嘉山酒造所
≪つかやま≫と読む。
私は子供時代から≪つかざん≫と読んでいた。間違いと今日初めて知った。
この津嘉山酒造所にも名護にいた時の思い出がある。
小学校の低学年時代、私の親父が飲んでいたのは津嘉山酒造所の国華だった。その瓶がたまると袋に入れ津嘉山酒造所にもっていき瓶を買っていただいた。瓶を売った代金は私の小遣いになった記憶はないが。
もうひとつ思い出がある。
その頃短い期間だったが豚舎の一角を借りて豚を飼っていたことがある。
母親と津嘉山酒造所に行き酒粕を頂きそれを豚のえさに混ぜると豚の食欲が増しよく太ったと記憶がある。
学校から帰り、自宅の仕事を遅くまで手伝う毎日だった名護時代。
小学校の低学年時代、よく母親と一緒に豚の餌を一斗缶に入れ大西区にあった豚舎まで二人で運んだ。
この思い出の地津嘉山酒造所が重要文化財に指定された。
おめでとうございます。
本当にうれしい。
名護に帰る度、思い出が一つ一つ無くなっていくのを見てきた。
重要文化財に指定されたことで、私が生きている間は子供時代に見たそのままの津嘉山酒造所が見れることだろう。
津嘉山酒造所を後にして名護の十字路近くに入った。
←この道路を入ると中学、高校時代の級友が経営している医院がある。
当分の間休診しますと張り紙があった。
体が悪いのだろうか。
彼は私の知っている限り、かなり勉強が出来た秀才だ。
高校の初めごろだと思うが、深夜に彼の勉強部屋の電気がついているのをよく見たものだ。
まだ若い60歳だし、早く元気になってほしい。
名護の市場近くの飲み屋街。
大阪の学生時代に当時の友人と一度帰省し
友人と一緒にたらふく酒を飲んだ。
私は飲みすぎて、自宅まで後数百メートルの川べりの草むらで朝まで寝てしまっていた。
よく、ハブに咬まれなかったものだとここを見るたびにそのことを思い出す。
酒を飲んだ友人とは卒業以来会っていない。
民間の建設会社大和ハウスに入った後、東京で学校の先生をしていると20代の後半に聞いた。
この世を去るまでには会いたいものだ。
いつも訪問いただきありがとうございます。
追記
今日≪11月27日≫はこれから、畑に行き晩生のタマネギを苗をとり本植えする。
それが終わるとスナップエンドウを植える。これでほぼ今年植える作業は終了だ。
後は収穫作業と堆肥づくりのみになりそうだ。
昼からは、ホームセンターにサンルームのサンプルを見に行きます。
サンルームを作れ作れとうるさいので農作業がひと段落したらサンルーム作りにかかりたい。
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コメント
お疲れ様でした
夏に行かれて、また行かれたのですね
同窓会ですか、、いいですねー
それと気になってた、ご幼少の頃の写真
めぐり合えたんですね よかった、よかった
いろんなところの風景ショットで様子がよく判ります
またいろいろ見せて下さい 楽しみにしています では 吉谷
元気すぎますよ。
今年は8月9月10月11月と4回沖縄に帰りました。
関空に近いのですぐ帰れるのがいいですね。
同窓会は最高でした。
当日の数時間だけで無く、後10日ほど宴会が続いてくれたら・・もっと良かったと今思います。
仕事人生から解放された今、私は誘いがあれば何時でも行く準備は出来てますので、次回沖縄から連絡があればすぐに参加する予定です。
そして写真を撮って吉谷さんに見せてあげたい。