沖縄から帰ってきた・・・東村平良その1



昨夜沖縄から帰ってきた。

8月27日からたった三日間の短い時間だった。

昨日帰る日、朝暗い5時に起き、まだ寝ている人たちを起こさないように、携帯電話の明るさで出かける準備をした。

東村平良に向かうために。

北部病院前のバス停から6時3分のバスに乗った。
源河川を過ぎたあたりで東の空が明るくなり朝日が差してきた。
バスに乗る人はいなく、貸し切り状態で6時45分東村平良に着いた。








向かいの山並は昔と変わらない。

台風の時、魚が打ち上げられてその魚をとるのが楽しみだった海岸の砂浜は健在だった。















朽ち果てた戦車があった砂丘は運動場になっていた。













そして、幼稚園の頃、マングローブの林で蟹とりや小魚とりに夢中になり、あやうく満ち潮で死にそうになった川にはマングローブのかけらも無かった。


大分前に、農地の区画整理事業で川を改修した時に全て無くなったそうだ。








かっての姿を思い出す物は何一つなかった。

小さい頃の思い出では坂道の下にあった大きな川の支流は
どぶ川に変わっていた。











お墓の建立祝いで、歳の離れた従姉の方から聞いた。

私が小学校1年の頃妹をおぶった写真等が東村の博物館で多数展示されているそうだ。








≪今日調べたことだが・・・。

写真を撮ったのはマレツキーさん。
昭和29年から約1年間東村平良に妻ハツミさんと滞在しその時多数写真を撮り、後に論文で発表されたそうだ。その後その写真は東村に寄贈され、その一部を川田の博物館で展示していると言う。≫

博物館がどこにあるのかも知らなかった。
詳しく聞きたいと、丘の上にある東村の役場に行った。

役場は閉まっていた。

トイレ横の扉が開いていて、電気の着いていないフロアに入ったら
御茶のジョッキを持った男性の方が来られ、今日は土曜日で休みと言った。

そうか、今日は土曜日だったのだ。

それだけで博物館も休みなんだと頭の中で思ってしまった。


残念。

もっと集中していれば博物館に行って自分の幼き頃の写真を多数見れたものを。

外人さんに写真を二度ほど撮られたことを今でも記憶している。

うさーおばさんの家から出てきた所に車に乗った白い服の外人さんが車を止め私の写真を撮ってくれた。

残念だ。


いつも訪問いただきありがとうございます。

しばらくの間、沖縄の報告が続きそうです。




追記


今朝は5時に起き5時半から家庭菜園畑で先程まで頑張ってきた。
大根もホウレンソウもカブもイチゴも全て順調だった。

ブログ投稿後、再度行きます。

畑を耕します。
 

 

コメント

nagonagu さんのコメント…
おつかれさまでした。
機会をみつけて、東村博物館、のぞいて写真を探してみますね。
fuku さんの投稿…
見つけたら、

出来れば・・・
産まれて数か月の妹を白い帯でおぶっている写真を見た後、デジカメで撮ってメールで送ってください。