東村マレツキー写真・・・私の5歳頃の画像を見つけた

8月28日。
お墓の建立祝いに参加した時、年の離れた従姉のおばさまから
『ふくーの子供の頃の写真が東村の山と水の生活博物館にたくさん展示していたよ』と聞いた。

翌日の29日早朝。東村の平良に行ったが、私がぼけていたものだから山と水の生活博物館に行けなかった。

沖縄から8月29日に帰ってきた。

従姉のおばさまから聞いたマレツキーさんの写真が気になり、PCで検索するも私の画像に至ることは無かった。

しかし、昨日仕事休憩中にグーグル画像検索で『東村 マレツキー写真』と、入力し検索した。
出た、私が産まれて間もない妹を白い帯で背負っている画像が。



マレツキー写真展 パートⅡ
-半世紀前の東ぬわらばーたー-


マレツキー写真展
  • 期間: 1月4日から2月28日まで(場合によってはつつじ祭り期間まで延長あり)
  • 場所: 東村立山と水の生活博物館(展示ロビー及び研究室) 
  • 内容: 50年前の昭和29年~30年の1年間東村字平良にアメリカのピッツバー グ大学の人類学科に所属していたトーマス・W・マレツキー氏が人類学の調査 で滞在した。その調査の際に東村の村民の生活風景を撮影された写真を展示。 開館時の 最初の写真展では、村民生活全般に関する写真を展示しましたが、 今回は特に子ども達を写した写真に焦点を置き74点を選びました。当時の子 ども達の家や学校、地域での生活の様子がよくわかる写真がずらり、しかも当時 ではあまり無いカラー写真で撮られていてるところが珍しくて貴重です。 特に50代以上の人には懐かしく感じられ、今の子ども達には昔の子ども達の 生活を知ってもらうことができます。

(例) ○はだしで学校に登下校する様子    ○手作りのおもちゃ遊ぶ様子 ○畑や田んぼの仕事を手伝っている様子 ○川や集落内で遊んでいる様子 ○小さな子が赤子を子守している様子 たぶん5歳半位の冬だったと思う。 外人さんに突然カメラを向けられちょっと緊張した記憶がかすかにある。 この画像を見つけた後早速相方に電話し見てもらった。 『あんたが不機嫌にムッとした時の顔にそっくり。』 そーなんですよ。 今でも私は不機嫌になると幼き頃と同じ顔になっている自分をよく見る。 額も広く、今と変わらない。 ≪一月前に丸坊主にしたのでそっくりになってしまった。≫ 背負っている赤ちゃんは妹でもうとうに50歳を過ぎました。 その頃、飴をしゃぶりながらいつも一緒に遊んだ二つ違いの弟は二年前に早世した。 8月29日早朝東村平良で数時間も幼き頃の思い出を探し、歩きまわった。 あっちこっちの角で思い出し涙を抑えることが出来なかった。 幼き頃の思い出は一生の思い出だ。 貧乏でカメラなんて買えなかった時代。 一枚も自分の幼き頃の写真がないと思っていたのに。 カラー写真でそれも何枚もあると言う。 幸せを感じる。 マレツキーさんに感謝したい。 いつも訪問いただきありがとうございます。 追記 夜勤明けで11時過ぎに帰ってきた。 JRの人身事故で電車は乱れていたが約1時間弱の遅れで家に帰ることが出来た。 朝飯を食べ、ブログを更新し、家庭菜園畑に行きます。 今日は畝を3個ほど耕し、レタス(晩抽レッドファイヤー)の種まきをしたい。 時間があったらミニごぼうのさらだむすめも蒔きたい。 沖縄の方言 東ぬわらばーたー  ⇒  東の子供たち ⇒  東村の子供たち   

 昨年2月の開館時期に開催された「博物館開館特別企画マレツキー写真展- 懐かしき50年前の東村-」に引き続き「マレツキー写真展 パートⅡ -半世紀前の東ぬ わらばーたー-」を下記の通り開催しています。

コメント

吉谷 さんのコメント…
ふくーさん
こんにちわ!!
いやあ、、沖縄の写真たっぷり見せていただきました ありがとうございます

そうですか、こんな記録が残ってたんですね
素晴らしい出会いですね

マピオンで初めて沖縄の地図を見て名護市と那覇の位置関係も再認識

よかったですね、いろんな出会いがたくさんあって、、、

写真が頭で整理できないほどです^^;

でも、本当に、よかった、よかった、、 吉谷
fuku さんの投稿…
吉谷さん、こんばんわ。
8月27日に行き29日に帰ってきました。
たった二泊三日だったが充実した三日間でした。
写真は300枚以上撮ってしまった。
本当に面白い体験をいっぱいした。
しかし、今は貸し農地の畑が忙しいので投稿できません。耕しと種まきが終わったらボチボチ紹介します。
吉谷さんもあっちこっち行って充実した60過ぎの人生を送ってますね。