沖縄東村平良その5:ここに共同水道があった

 
 
 






沖縄県国頭郡東村平良。

この地が私が60年前に生まれたところです。

画像は2009年8月29日6時59分の沖縄東村平良のある家の角です。

このブロックで囲まれた家は私が小学校の1年に入った時から変わっていない・・・と思った。

このブロックの角だと思う、ここに共同の水道があった。

何か理由は分からないが、おばさんの家から瀬戸物のキュウスを持って、この共同水道でキュウスを洗った。

一生懸命に洗っているとき、手が滑ってキュウスのふたを割ってしまった。

どうしよう。
割れた瀬戸物のフタをくっつけようと思ってもくっつかない。

おばさんに正直に言うことができず割れた蓋をのせおばさんに渡した。

今でも怒られた記憶はない。

しかし、今でも鮮明に割った時のどうしようと思った気持ちを覚えている。

怒られないことで私は救われた。
だから、今でもおばさまにすまない、ごめんなさいを言う気持ちが
50年以上たった今でもある。

みな貧乏だったあの時代。

私が割った急須を新しく買ったかどうかは記憶にない。


沖縄には古き良き習慣がある。

当時はどの家にも玄関らしきものは無く、屋敷に入ると板張りの部屋があった。
そこは昼、開けぱなしで、訪問客があると番茶でもてなした。

訪問客は板張りの床に腰掛け、家の主は床に座り、お茶を入れ色々な話をした。

私は小さいころおばさまの家でよく近くに座りその話を聞いていた。

いつ頃かは知らないが、お茶を入れているのがアルミの急須に変わっていた。


おばさま
本当にありがとうございました。






最後まで読んでいただきありがとうございます。



 
 

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