約55年前に・・
沖縄東村平良の村には大きなガジュマルが二つあった、と記憶している。
以前投稿したが、一つはかなり大きなガジュマルでその下が私たちの幼稚園だった。
ガジュマルに四足で登り皆で遊んだ。
≪皆といっても幼稚園の仲間は10人もいなかった。たぶん8人位だった。≫

そのすぐ近くに、もう一つのガジュマルがあった。
←これがこのガジュマルだ。
まだ、あった。
55年前よりかなり大きくなっている。
このガジュマルは民家の庭にある。
これが沖縄の北部ヤンバルだと思う。
そして、このガジュマルの前に車がある左の家の空間、そこが子供時代の記憶が初めて残っている私達の家があった。
画像みたいな、二階建ての家でなく、平屋だった。
平屋の前には庭がありそこで2歳違いの弟とよく遊んだものだ。
この家は借家だった。
≪東村平良では幼い私の記憶では2回家をかわった。≫
この家での思い出は多数ある。
そのひとつ
母が潮干狩りで、たくさんの貝をとってきた。
≪←の半島の先が潮干狩りの場所だと勝手に思っている。≫
シャコガイで遊んでいるうちにシャコガイに私がかまれ、兄が包丁で貝の付け根を差し、口を開けてくれ助かった思い出がある。
めちゃくちゃ痛かった。
その2
この家で私がおぶっていた赤ちゃんが生まれた。
あれから55年。
思い出しては涙が流れ止まることがない。

その3
この借家はこの家の角を右に曲がったところにあった。
今でも時々思い出すのは、この家の角を歳の離れた従兄の兄さんがゼンマイ仕掛けのブリキの車の車輪を回しながら我が家に来る姿だ。
あの独特のジャージャーというのような音が耳に響く。
私の記憶ではブロック塀はハイビスカスの垣根だった。
おばさまの長男さんが・・・・誰が買ってくれたかは分からないが、お土産を我が家に持ってきてくれたのだ。
入力しながら当時を思い出し、また涙が流れてきた。
この頃涙もろくなり、我慢しても勝手に出てくる。
歳をとったものだ。
いつも訪問いただきありがとうございます。
追記
先週東村の山と水の生活博物館に電話したが相手の方は仕事休みだった。
また電話しますと切った。
電話するのが少ししんどくなった。
また、休みだったらどうしようというのが先に来る。
仕事中に私用で電話するのが迷惑になるのではという気持ちが強くなる。
電話しようと、思いながらもうとっくに1週間は過ぎた。
来月帰る予定なので、その時によろうかと思ってきた。
コメント
こんばんは。
東村博物館の職員のTさんは、本当にとっても優しい方ですよ。私もお友達です。
この間も、ふくーさんの話を2人でしたところです。
私が言うのも何ですが、何度でもお気軽に電話して下さい。
11月にまた東に来るんですね、楽しみですね。
おはようございます。
気にかけていただきありがとうございます。次の仕事休みに自宅から電話します。