毎月3曲を完全に覚える:BEGIN三線の花・・・思い出す親父のこと

今、BEGINさんの『オバー自慢の爆弾鍋』を覚えている最中だ。
やっと半分完璧に覚えた。

今日、朝会社に行く途中の関空大橋を渡る時≪BEGINの一五一会2の三線の花≫を聞いた。






自然と涙があふれてきた。

私にはおじーの思い出は無い。

物心ついた頃にはおじーはいなかった。

以前書いたがおばーの思い出はたくさんある。

だから、思い出すのはおじーのかわりに親父のことだ。

62歳の若さで亡くなった親父。

もうすぐ私もその年になる。

BEGINさんの三線の花を聞いていると

昔々貧乏だったが少しましになり、親父が三線を買い意味のわからない工工の書いてある本を見て
三線を弾いていた。

私は18、19歳で大阪に出てその後帰ったのは数えるぐらいしかない。
たぶんその何回目かに親父が三線を弾くのを見たのだろう。

習字も親父は得意だった。
綺麗な字を書く親父だった。
今も親父から私宛に来た手紙を見るたびにそう思う。

兄貴がどこかに行く日だったか記憶は確かでないが
掛け軸みたいな大きな紙に墨で何かを書いていた。

私が30を過ぎた時親父は亡くなった。

最後近くの言葉を今でも忘れることが出来ない。

『ふくー』
『漢字・・・字が・・思い出されない・・・書けない』

≪親父は私以上に字が得意で漢字が書けた。≫


私はその言葉を病院から自宅に戻された親父から聞き大阪に帰った。

その一月後、親父は無くなった
がんだった。

沖縄名護に帰り見た。

巨漢を誇っていた親父が、骨と皮になっていた。

すまないと今親父の歳になって思う。

あなたに悪いことをした。

あなたを嫌いあなたと会話を拒んだ若いころを。

親父

あなたと一緒に飲める日はいつか知らないが

会った時

最初の言葉は決めている。

ごめん。お父さん。
私が悪かった。
若かったんだ。
許してくれるだろ。

一緒に飲んだことは無かった。

あちらに行ったら一緒にたらふく飲もうと思う。

先に行った弟と妹ともに。

みんなごめんな。
行ったときにいろいろ話しような。




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