毎月3曲を完全に覚える:BEGINオモトタケオ3≪祝い古酒(くーす)≫

やっと覚えた。

9月13日から覚え始めて・・・

今日は9月30日。

9月も終わりだ。

『パーマ屋ゆんた』は一日で覚えたのに。


合いの手の

さっさ(ヒーヤ)さっさ(ヒーヤ)ぷっからさよーい はーりふくらしゃよ
ぷっからさよーいの音程が外れ時間がかかった。




いい歌ですね。


何度も何度も聞いていると
情景が浮かぶ。


二十歳前に畳をおこすと
一升瓶があった。
私の二十歳を待ちわびる
祝い古酒が。

そして時は過ぎ、我が子を抱きながら
酒を見ていた。
さあ、どうしよう。
祝い古酒をどうしょう。

いつものように歌詞を下記します。


祝い古酒

                               作詞 ちゅんなーや
                               作曲 弦助
                               編曲 BEGIN

アイスピックで刺してから 湿った畳を起こしたら
地面に根をはる木の様な 一升瓶がありました
私の二十歳を待ちわびる 祝い古酒がありました

アキサミヨーナで時は過ぎ 我が子を抱いて酒を見る
ビンにしょうか 瓶(かめ)樽(たる)か それとも海で寝かせようか

この子の成人祝いの日 ごちそうを囲む顔と顔
みんなで育てたこの酒を 一粒残さずそそぎましょ

さっさ(ヒーヤ)さっさ(ヒーヤ)さっさ(ハイヤ カリーホーイ)
さっさ(ヒーヤ)さっさ(ヒーヤ)さっさ(ハイヤ カリーホーイ)
さっさ(ヒーヤ)さっさ(ヒーヤ)ぷっからさよーい はーりふくらしゃよ

感謝するたびあふれだす 家族先生どぅしぐわぁーぬちゃー
あの世この世の境なく 唄と踊りで祝いましょう

泥水すすって根を生やし 雨風しのいで穂をつけて
真白になったお米なら やがて島酒泡の酒


さっさ(ヒーヤ)さっさ(ヒーヤ)さっさ(ハイヤ カリーホーイ)
さっさ(ヒーヤ)さっさ(ヒーヤ)さっさ(ハイヤ カリーホーイ)
さっさ(ヒーヤ)さっさ(ヒーヤ)ぷっからさよーい はーりふくらしゃよ

飲みよー   ハイ

オール     乾杯!

おとーり あんたの    言うと―り

飲みよー       ハイ! オーリトーリ!

注がせてちょうだい いつ世まで

さっさ(ヒーヤ)さっさ(ヒーヤ)さっさ(ハイヤ カリーホーイ)
さっさ(ヒーヤ)さっさ(ヒーヤ)さっさ(ハイヤ カリーホーイ)
さっさ(ヒーヤ)さっさ(ヒーヤ)ぷっからさよーい はーりふくらしゃよ

さっさ(ヒーヤ)さっさ(ヒーヤ)さっさ(ハイヤ カリーホーイ)
さっさ(ヒーヤ)さっさ(ヒーヤ)さっさ(ハイヤ カリーホーイ)
さっさ(ヒーヤ)さっさ(ヒーヤ)ぷっからさよーい はーりふくらしゃよ


沖縄にすんでいた時(今もそうだが)貧乏だった。
だから、祝古酒 が あると聞いていたが
自分には関係は無かった。

BEGINさんの『祝い古酒』を聞いて改めて良い風習だと。

子供の成長を家族、親戚、先生、友達、同期生が見守り
そして二十歳になる祝に皆で飲もうと
20年も寝かす 祝古酒。

自分が親からそう祝をされたみたいに

アキサミヨーナで時は過ぎ
自分の子供を抱きながら
この子にも『祝い古酒』を造り
二十歳の成人の日を皆で祝いたい。


この唄を練習しながら
歳の離れた従兄の家で飲んだ古酒が想いだされた。

この歳の離れた従兄は沖縄の東村に住んでいた。
十数年前に帰った時に
始めて自宅のお邪魔した。

なんと、東村の海が眼下に見える高台に
大きなコンクリート造りの家だった。

何十畳とある居間の床の間に
大きな瓶(かめ)があった。

それが『祝い古酒』だった。

40度以上もある泡盛だった。

瓶の覆いを取り
柄杓で茶碗に入れてくれた。


ストレートで飲んだ。

あまりの美味しさで、酒好きの私は何度も何度も杯を重ねた。

久しぶりに酔い潰れた。

昨年沖縄に帰った時
うちに来るかと誘われたが
遠慮した。

酒はうまかったが
酒に酔いすぎるのは
もう勘弁だった。


自分の子供はもう二十歳をとうに過ぎた。

孫に祝古酒と思うが
産まれていない孫が二十歳になるまでは
私はこの世にはいない。








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