故郷沖縄名護十字路の市場の画像を見て



先日の1月22日(土)に故郷沖縄名護に帰った。

名護十字路に立つと南西の角にあった市場が新しくなっていた。

←左の写真は

昨年≪BEGINの歌の日コンサート≫に参加するために沖縄名護に帰った時に撮った。



工事中だった。





この名護十字路の市場には思い出が一杯だ。



←工事前の名護十字路

小学校の4年生頃から高校を卒業するまで
私はほとんど毎日この市場に行っていた。

家業の手伝いをするため

学校に行く前にてんぷらと魚のフライを自転車の後ろに載せ名護の街を世冨慶から名護高校の前の路地にある店まで各店に卸していた。


学校から帰ると翌日の仕込みのため

夜11時頃まで魚をさばいた。

勉強する時間なんかほとんど無かった。



だから遊んだ記憶があまりない。

思い出すのが多いのは配達した店が今どうなっているのか
見るのが多い。

名護十字路の市場にも毎回行きうろうろ歩きまわる。


しかし、思い出の店は徐々に少なくなり

中学の頃、学生服の脇が破れたのを
恥ずかしそうに持っていた洋服屋さんも
無かった。


その洋服屋さんは私のことをよく知っていて(私は知らなかったが)タダですぐに直してくれた。

いつか大きくなったらその時のお礼に行こうと思いながら果たせなかった。




思い出がまた一つ


名護から消えた。


しかしそんなものだ。

いつまでも形あるものはそのままの形を留めるものではない。


これからは故郷沖縄名護に帰るたびに新しくなった名護十字路の市場に足を運び
新たな思い出を作ろうと思う。



今年の6月にもまた

BEGINの歌の日コンサートがあるだろう。

もちろん今回も行く予定だ。

今回は10枚ほどチケットを買い
名護と宜野座の親戚一同で行こうと思っている。

いい席を確保するためBEGINのコンサート情報から目が離せない。




追記
今日は三線の練習は30分ほどしか出来なかった。

PCに過去の画像データーを取り込んでいたら
古い写真を見ながら思い出に浸りすぎ
時間を取られすぎた。

名護十字路の市場の写真を見て
昔の子供時代を思い出した。

寒い今の時期、凍っているさんまの冷凍ケースを
溶かしながらさんまをさばいた日々が
懐かしく思い出された。

BEGINの唄にある

明日くるはずの幸よりも
過ぎて行く昨日の苦しみが
苦しみの方が愛おしい
愛おしいことを知りました

その通りだな。


楽しい思い出より
のがれることが出来なかった、苦しみ、悔しさ、恥ずかしさが、

今懐かしく思い出される。



でも、出来れば
これからは家族そろって笑ってユンタクしている
幸せばっかりであることを・・・希望します。


コメント