兄に電話したら・・名護のことを思い出した・・ブロック工場が遊び場だった





昨夜名護の兄貴に電話した。

明るい声だった。

6月にあるBEGINのコンサートを一緒に行けるのを楽しみにしているよと言っていた。


小学校の1年から過ごした

沖縄名護の十字路近くにあった実家近くのことが思い出された。
今年1月に帰った時もうすでに45年以上たったそこを見た。

子供の頃遊び場だったブロック工場は無くそこには

まちなか市営住宅が建っていた。



この写真の左が工事中のまちなか市営住宅。


この右には当時名護の中心地だった
名護十字路があった。

私は名護十字路の角にあった
角屋食堂で腹いっぱい
沖縄そばを大きくなったら
食べるのがひそかな楽しみだった。

それもかなわぬ夢だった。
もうそこには無かった。




工事中のブロック工場の跡。

ここの前に私は住んでいた。

そしてここの周りには

同じ年の子が多数いてこのブロック工場で遊んだものだ。

どういう奇跡かわからないが
50年近く経った今Facebookでお互いの近況をやり取りしている。

本当に楽しい。




この公民館はさっきのブロック工場から

10数メーター歩いた所にある。


ここも子供時代の遊び場だった。


当時はやった月光仮面のまねや

ゴムバンドで弾は草茎でやりあった。

草茎でも結構痛く何回かしたら止めた。

ブロック工場の屋根裏にのぼって、雀の巣を見たことは今でも覚えている。


小学校3年か4年の時だった。

ブロック工場の作業状況を絵に描き展覧会で何度か賞をいただいた。

クレヨンか絵具が足りずレンガ色の画面になってしまったことが懐かしい。


帰る度に思い出は一つ一つ無くなっていくが
これも仕方ない。

まだ残っているほうだ。


6月には沖縄に帰る。

BEGINの≪うたの日コンサート≫参加するために。

後、3か月だ。

伊豆味のベゴニア園にも満開のベゴニアを見に行きたいが
4月から新しい仕事になるため行けそうにもない。



6月には落ち着いているだろう。

たぶん今回も6月の26日か27日にあると思う。

帰る日を楽しみにして、仕事、生活、畑、DIYを頑張ろう。








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