二十日の朝9時の旅客機に乗り、沖縄那覇空港に向かった。
沖縄はまさに今前線が通過中で雨模様だった。
名護行きの高速バス停にバスを待っていると、雷をともなって豪雨となった。
友人にショートメールをしなければとバスに乗り込んでしていると、送信エラーばっかりだ。
何度も触っているうち、バスの揺れで電話を発信したみたいだ。
慌てて切ったが、しばらくして、彼から着信があった。
ワン切りをしたようだ。
名護が迫って来た。
いつもなら向こうに名護の街並みが見えるのだが今日は駄目だった。
それでも、この景色を見る度に、名護に着いた!と感動する。
いつもように名護市内の入口の世冨慶のバス停で降りた。ローソンに入り買ったのは傘だ。
名護市内を歩き回る為には必要なアイテムだ。
小学校低学年時代に、通ったキリスト教の教会は今でも健在だった。
橋を挟んで対岸にあるボーリング場の駐車場は満杯だった。
このボーリング場には二十歳すぎに名護に帰る度に通った。 当時はボーリングははしりで皆夢中になった。私も少ない小遣いでよく通った。
名護の象徴、ヒンプンガジュマルと遠くに見える名護城、そして幸地川、本当に名護に来たと感じる。
二十日に一泊する名護ビジネスホテルです。
昔々住んでいた場所から50mも離れていません。
この近くで遊んだ思い出がよみがえりました。
ブロック工場の広場、ブロックを積み上げている所のブロックで隠れ家をつくった頃。
月光仮面の真似をして首に風呂敷をまいて、走り回った。公民館のブランコから落ちて、右腕を骨折したこと。一斗缶にカーバイトを入れ、覗き込んで火の着いたマッチを入れ、顔中やけどをした大変な思いで。
今では皆楽しい思い出です。
チェックインする前にまず腹ごしらえです。
前回名護に来た時に、美味しく頂いた≪食事の店 和≫さんに入った。
食べたのはニラレバ炒め。
ボリュームたっぷりで、美味しかった。
これで600円です。最高!
かっては名護の中心地だった名護十字路です。
食事の後、チエックインを済ませ、昔住んでいた2番目の家跡を見て、数キロ離れたお墓に向かった。
墓に着くと義姉さんが待っていた。
墓に行くことを電話したので、雨が降ったら大変だろうと迎えに来たと言っていた。
ありがたいことです。
兄貴の家に着き、仏壇に手を合わせ、お茶を一杯飲んですぐに写真館に向かった。
写真館は多数のお客様で忙しそうだった。従業員さまにお渡し、名護城に向かった。
店の向かいの信号を渡った時に、携帯の電話が鳴った。そしてしばらくして車で迎えに来てくださった。
店は大変忙しいのに、本当にすみません。
店のソファーでコーヒーを飲みならが、2時間も話した。彼とは話が合う。
日本の政治や韓国、中国、世界情勢、経営、家族やこれからの人生等等について、話は尽きることが無い。午後8時前になって、皆さまが待っている居酒屋さんに向かった。
もう、すでに待っていた。遅れて申し訳なかった。
楽しい、本当に楽しい時間を過ごした。
昔話に花を咲かせ、カラオケを歌いまくり、最高の時間だった。
写真を一杯載せたいが顔が映りすぎるので駄目だ。
うまい5年物の久米仙を飲み過ぎた。
11時30分頃に店を出た。
どのようにしてビジネスホテルまで帰り、寝たのか記憶が全く無い。
こんなになったのは35年ぶりだ。
よっぽどいい酒だったんだ。
翌日朝早く、兄貴の車に同乗し、沖縄南部でひらかれる式場に向かった。
豪華な結婚式だった。
総勢200名以上。
沖縄らしい結婚式だ。
午後3時前、まだまだ式は続いていたが、私は本日午後17時30分発の関空行きの便に乗らねばならないので、おいとました。
首里駅までタクシーで行き、そこからゆいレールに乗り那覇空港に。
運よく乗れて、19時25分、KIXに着いた。
楽しかった二日間だったが、あわただしかったので疲れた~。
名護の皆さまこんな私の為に集まっていただき、お酒の席を持っていただき、本当に感謝しています。
至福の時間でした。
コメント
ごちそうになりました!又次回を楽しみに
してますよー!
有難うございます。
次回も歌いましょうね。