身体の上半身にだるさを感じる。
この頃、休みごとの床貼りでくぎを打ち付け過ぎたのかもしれない。
食欲もあるし、食べるものも美味しいし、よく寝れているので、身体が悪いわけではないと思う。
この歳になると、普段の自分と違うことに、気をつけるようになった。
なにか、重要な病気の前兆ではないのかと、ネットで検索して見たりする。
そして、同じ症状で検索している人の多さに感心し、お医者さんのコメントしていることに注意を払い、その文章をよく読んで、少し、安心する。
身体のこともあるが、心の平安にも気をつけなければいけない。
新聞や雑誌、小説等を読み、テレビを見、ラジオを聞いていると、本当に自分自身が今まで65年間生きてきた、常識では到底理解できない事がある。
その新聞や雑誌等々は自分とかけ離れた、関係のない世界で起こっていると思っている自分がいるから、心底、恐怖を覚え、腹が立ち、興奮することはほとんどない。
しかし、身近に自分の周りに、起こったらどうだろう。
自分は関係ないと、知らないふりをするのか。
「臭い物には蓋をしろ」でほとぼりのさめるのを待つのか。
悪臭の元を絶たずに容器の蓋を閉めて、悪臭が外に漏れないようにする。
その意味は
根本的な解決をはからずに、一時しのぎの手段で他人に知られないようにするという意味。
いや、そんなことでは駄目だと、徹底的に話し合い、解決する方向に持って行くのか。
力がいる。
そんなことをすれば、体力と知力とそして本当の精神力が必要だ。
そのストレスに耐えるだけの価値があるものか、問うと、無い。
やはり、自分は自分の平安を求め、行動を起こさず、じぃ~としているのだろうか。
原発、吉田調書、慰安婦問題、反日朝日、産経前ソウル支局長裁判、夫殺し、サンゴ密漁、中国領海領空侵犯、大阪都構想、衆議院解散、タカタエアバック、捏造、誤報、・・・
どれも見、聞く、読むだけなら、力は要らない。
当分は(いや、これからもず~と)極力、ストレスから逃げて、自分の趣味の、農業、DIY、読書、三線を楽しむのだろう。(この頃はサンルーム中心で三線はもう4カ月も弾いていないが)
少し疲れを感じて、自己分析をして見た。
そして
私は「テキサス親父」には、とうていなれない事を知った。
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