平成26年12月7日から読み始めた。
今日平成26年12月13日(土)15:41読了した。
本当に面白かった。
今の世でも有りそうな出来事が小説になったんだと思った。
いつものように、読書ノートに出てくる登場人物の関係を記録しながらの読書。
そうしないと、登場人物の多い時等、その相関関係が分かりづらく、小説そのものが理解できないことがあるから。
題名の「門」、なんで、「門」なんだと、疑問を持ちながら、読んでいた。
御米と宗助が最初に知りあう場面に出てきた。
『宗助は二人で門の前に佇んでいる時、彼らの影が折れ曲がって、半分ばかり土塀に映ったのを記憶していた』
たぶん、そこで宗助は運命を感じたのかもしれない。
そして小説の終わりの部分で宗助は勤めている役所を10日間休み、役所の知人の紹介状を持ち禅寺の釈義宜道を訪ねた。
自分自身ではどうしようも出来ない、悩みから、救いを求め、門をたたいた。
しかし、その門は何にも答えを与えてくれなかった。
『自分は門を開けて貰いに来た。けれども門番は扉の向側にいて、敲いてもつい顔さえ出してくれなかった。ただ、「敲いても駄目だ。独りで開けて入れ」と云う声が聞こえただけであった。』
彼は前を眺めた。
前には堅固な扉がいつまでも展望を遮っていた。彼は門を通る人ではなかった。また門を通らないで済む人でもなかった。要するに、彼は門の下に立ち竦んで、日の暮れるのを待つべき不幸な人であった。
家の敷居を跨いだ宗助に、10日間禅寺にこもったおかげか、一気に問題は解決の方向に向かっていた。
安井に会わない為に今の住まいを捨て、移ろうとまで思っていた宗助。
気持ちを入れ替え、坂井さんの所に行き、宗助の悩みは一気に解決した。
坂井の蒙古からの冒険者の弟は四五日前に帰っていた。
そして、連れのあの安井も。
一難は去った。
そして、役所も首にならず、月給も5円昇った。
小六も坂井の書生になった。
小六の足らない学費も佐伯の安之助と宗助が折半することに。
万事いい方向に向かって、万々歳。
お米は言う。
「本当に有りがたいわね。ようやくの事春になって」と云って、晴れ晴れしい眉を張った。
宗助は縁に出て長く延びた爪を剪りながら、
「うん、しかし、またじきに冬になるよ」と答えて、下を向いたまま鋏を動かしていた。
宗助の頭の中にはかすかな不安があった。
これは少し前の文章に出ていた。
これに似た不安はこれから先何度でも、いろいろな程度において、繰り返さければすまないような虫の知らせがどこかにあった。
それ繰り返させるのは天の事であった。それを逃げて回るのは宗助の事であった。
宗助と御米はこれからもつつましく静かに生きて行くのだろう。
宗助は自分でどうしようも解決ができない難問が出来ても、また門をたたき、そして時間と天が解決してくれると、私は信じている。
おもしろかった。
最高の小説だった。
あまりに夏目漱石が面白いので、後しばらく、夏目漱石の小説を読もうと思った。
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