「門」を読み終え、今日から漱石の別な物を読もうと、読み始めたのが、「幻影の盾」。
10数ページ読んで止めた。
何が何だか分からなかった。
次に開いたのが「手紙」だった。
これはおもしろく、一気に読めた。
「手紙」は1911年明治44年に発表された。
夏目漱石が44歳の頃だ。
あんまり詳しくは知らないが「修善寺の大患」が1910年だから、その翌年の作品となる。
たぶんだが重吉は夏目家に書生として学生時代に一緒に暮らしていたんだろう。
これもたぶんだが、妻か夏目自身の縁故関係が有る、学生と思われる。
そして夏目家で暮らしている時に、佐野重吉は妻の遠縁の御静と知り合い、夏目夫婦に仲を取り持つように話す。
重吉は卒業して関西方面に友人の勧めで勤める。
しかし、自分で夏目夫婦に頼んでおきながら、煮え切らない態度を取り続ける。
夏目の奥さんが心配し、夏目が関西に出張する時の帰りに、重吉が住んでいるH市(たぶん広島市だと思う)寄って、重吉の今の気持ちを確かめてくるように、夏目に頼んだ。
重吉はある旅館に住んで、会社勤めをしていたが、夏目が訪ねた時にはもう引き払っていた。
たまたまその日は招魂祭で街中が人で混んでいた。
夏目もその旅館で泊まる部屋を訪ねたが断られた。
しかし、重吉が住んでいた部屋ならどうかと勧められ、泊まることに。
この部屋に重吉を呼び、話しをした。
重吉は真面目な書生から、酒をたしなむ人となっていた。
翌朝、何気なく引き出しを開けると、奥にひっかかっていた手紙を見つけた。
なんと、それは玄人らしき芸者さんから重吉宛の艶書だった。
結婚の条件でお静のほうは遊び人は嫌だと言っている。
この艶書をみると、重吉は少ない給料で遊ぶ金を作るために旅館を引き払い、もっと安い所に移ったのだろう。
10時過ぎの列車で立たなければならない。
時計を見るとまだ七時。
すぐに重吉を迎えにやった。
毎月10円を結婚資金に夏目の所に送るように要請した。
これを夏目は貯めて、いざ結婚の時に全部重吉に渡すとの約束をした。
そして、列車が発車する時、重吉に動く車中から、その手紙を渡した。
一月後10円送ってきた。
二月後も10円送ってきた。
三か月目は7円になった。
奥さんは重吉を擁護したが
夏目は言う
自分から見ると、重吉のお静さんに対する敬意は、この過去三か月間において、すでに三円がた欠乏しているといわなければならない。
将来の敬意に至ってはむろん疑問である。
小説はここで終わっている。
重吉とお静さんのその後はどうなったか、気になる所である。
私は思う。
お静さんは重吉と一緒にならない方がいい。
学校を卒業し、就職し、すぐに芸者遊びをするような、若者はどうしようもない。
自分が思うように未来はなると、思っているような超楽天的な性格は直しようがない。
一時的に真面目を装っても、地は変わらない。
結婚して、数カ月もしないうちに、夜遊びをおぼえ、毎日午前様だろう。
「手紙」を読み終え、次も短編の「文鳥」を読んだ。
これもすぐ読了した。
その次は「硝子戸の中」にした。
夏目漱石の寒い書斎からみる、自伝的随筆。
亡くなる約2年前の体調が悪い時に書かれたものだろう。
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