読書感想:夏目漱石 「私の個人主義」


12月19日、出勤時電車の中で読み始めた。


この出勤時、今まで生きてきて、一度も経験したことが無いことが、起こった。

これは後日、記録したい。



読み始めて、読み終えたのは同日、15:38分。

本当に感動した。

今から100年前なのに、今も、漱石が憂えたことが、続いていると思った。


「私の個人主義」は

1914年大正3年11月25日、学習院輔仁会にて夏目漱石が講演した内容です。

一日前に読んだ「硝子戸の中」の三十四の中にその講演を引き受けたいきさつや、その後、漱石のたぶんだが気分を悪くしただろうことが書かれていた。

漱石はそれ以前の講演を聞いた学生の一人が「なんでも解らなかったようですよ」と云ったことを、漱石が大学にいる頃教えたある文学士が来て話したことを気にしたことが書かれていた。
そして、今回の講演の終わりに、質問があれば自宅まで来てくださいと話した。


講演の内容は

どうして受けたか、身体の調子が悪く、延び延びになったこと。

そして、二三日前になって、何にかを考えなければならないという気がして、考えるのが不愉快なので、とうとう絵を描いて暮らしてしまいました。

日本の文豪の最高峰に位置する「夏目漱石」でさえ、何かを生み出す前には、プレッシャーから逃げていた、その姿を思い描くことが出来て、安心した。

前置きが終わって、本題に

ある御大名が二人、目黒辺りへ鷹狩りに行った。

そこで、あまりに腹が減り、たまたま見つけた農家の爺さん婆さんが秋刀魚を焼いてくれたのを食した。

その食べた秋刀魚があまりにうまかったので、後日、家来に作るよう命じた。

家来は躊躇したが、大名の命令なので丁寧に秋刀魚料理を作った。

しかし、その時大名とお客様はあまり腹が減っていなかった。

そして、「大名二人は、どうも秋刀魚は目黒に限るね、といったような、変な言葉を発したと云うのが話しの落ち」

腹がとても減っていた
農家に行った。
今までの料理と違うやり方で秋刀魚を焼いて、食べさせてくれた。
うまかった。

最高の学校で最高の教師に毎日教えられている、学習院の学生さん、

しかし、それでも、私みたいにな者を招き、講演をさせるのは、目黒の秋刀魚みたいなものだと
ひにくぽく話している。

坊ちゃんや漱石が東京大学を卒業して、高等師範に行くいきさつや、伊予の松山の中学校や熊本の高等学校に行ったいきさつが話されているのは漱石ファンには本当に面白い。

文部省から英国留学の命を受け、約3年間英国に行き英文学を勉強したいきさつも本音が語られていて本当に為になった。

『いくら書物を読んでも腹の足しにはならないのだと諦めました。こと時私は始めて文学とはどんなものであるか、その概念を根本的に自力で作り上げるほかに、私を救う道はないのだと悟ったのです。』

本を読んで、その作者を年代別に並べて、答えをかけと云う、テストにあきあきしたことが書かれて入れ面白い。

英国留学をして、自分なりの文学と云う何かを、求めるのが始まった気がした。


ここからが本題の第2編の

自己本位

自我本位

の主題に突入。

本当に良い事を話してます。

まとめきれる自信はないが、自分なりに、今後の生き方を、教えられた、と、云うより、あらためて自分の思いと同じだと、今の、自分の生き方に、自信を持ち、これを続けて行こうと思った。

今、この講演を聞いている方々、学習院に属している。
社会的に地位の好い人。上流社会の子弟です。

第1番に挙げるのは『権力』。

自分の個性を他人の頭の上に無理やり圧しつける道具。

権力に次ぐものは『金力』です。

これもあなた方は貧民よりも余計に所有しておられるに違いない。
この金力を同じくそうした意味から眺めると、これは個性を拡張するために、他人の上に誘惑の道具として使用得る至極重宝なものになるのです。

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第一に
自己の個性を発展を仕遂げようと思うならば、同時に他人の個性も尊重しなければならないという事。

第二に
自己の所有している権力を使用と思うならば、それに附属している義務というものを心得なければならないという事。

第三に
自己の金力を示そうと願うなら、それに伴う責任を重んじなければならないという事、つまりこの三カ条に帰結するのであります。

夏目漱石はこの三カ条に自分の考えをまとめている。

権力と金力を持つ彼らは

自分の自我をあくまで尊重するような事を云いながら、他人の自我に至っては毫(ごう)も認めていないのです。

いやしくも公平の眼を具し正義の観念をもつ以上は、自分の幸福のために自分の個性を発展して行くと同時に、その自由を他に与えなければすまん事だと私は信じて疑わないのです。


我々は他が自己の幸福のために、己の個性を勝手に発展するのを、相当の理由なくして妨害してはならないのです。

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元来をいうなら、義務の附着しておらない権力というものが世の中にあろうはずはないのです。
私がこうやって、高い壇の上からあなた方を見下して、一時間なり二時間なり私の云う事を---





夏目漱石は朝日新聞の文芸欄の担当をしていたと聞いている。

100年前にその夏目漱石が所属していた朝日新聞が大先輩である夏目漱石の事を忘れ、従軍慰安婦や原発吉田証言等々捏造と呼ばれるまでの記事を載せた。

そして、池上彰氏の朝日新聞に対する苦言を朝日新聞に載せることをしなかった。

夏目漱石はこの講演の中でこう言っている。

『私がかって朝日新聞の文芸欄を担当していた頃、だれであったが三宅雪嶺さんの悪口を書いたことがありました』

件に話されていた。

自分は云いたいことを言い、しかし、自分の批判は許さない。

これが今の朝日新聞と思った。


「私の個人主義」を読んで思った。

夏目漱石は云っている。

私のここに述べる個人主義というのもは、けっして俗人の考えているように国家に危険を及ぼすものでも何でもないので、他の存在を尊敬すると同時に自分の存在を尊敬するというのが私の解釈なのですから、立派な主義だろうと私は考えているのです。

もっと解りやすく云えば、党派心がなくって理非がある主義なのです。
朋党を結び団体を作って、権力や金力のために、妄動しないという事なのです。

もっと書きたいが、疲れてきた。


私が思ったこと。

自分の考えがこうだからと、他人に押し付けたらアカン。












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