脳がボケて来たのか 自分の



私はだいたいいつもA6のノートを2冊持っている。

一つは読書ノート。
もう一冊は何でもノート。

この何でもノートには思いついたこと、新聞、ラジオ等で興味のある記事を書きうつしたり、
英語のフレーズやボケ記録等もある。

そのボケ記録とは

とっさに思い出せないものの記録だ。

今年は

6月27日(金) 納豆→朝、納豆を見て納豆の名が出てこなかった。

6月29日(日) 剪定鋏→畑で無くしたと思っていたがいつも背負っているリックサックの中にあった

7月5日(土) ズッキーニーと言う名が出てこない。

7月6日(日) 他所の畑に張りめぐらされている有刺鉄線の名が思い出せなかった。

7月17日(木) サンルーム造りで胴縁の名前が思い出せなかった。

11月8日(土) 毎日放送ラジオを聞いていて、浜村淳の名前が出てこなかった。

12月26日(金) 朝4時に起きて、無意識に出勤の準備をしていたが、何の仕事をしているのか疑問がわいてきた。


この最後の26日の経験はショックだった。

本当に無意識に出勤のための着替えをしていた。

ふっと自分の頭の中に疑問がわいてきた。

自分は今、何をしているのか。何の仕事をしているのか。

パソコンの横の本棚をジーと1,2分ながめていた。

そしてその本棚に立ててある、仕事用のA6のノートを開いた。

開いたページには仕事に使うアサイン表が張り付けてある、折りたたんであるアサイン表を開いた。

何か記号が書いてある。その記号を見ても何が何だかわからない。

え、本当にアホになったのかと思った。

めったに頭の中は興奮しない私だが、この時はほんの少し慌てた。

数分眺めていて、やっと記憶がよみがえってきた。

毎日持ち歩き、その日の行動記録をつけている、システム手帳も見た。

そうだ、今はこの仕事をしているのだ。まだまだ働いているのだと、完全に脳が甦った。


朝出勤時、妻(サイ)に駅まで送ってもらった。

その車の中で今朝経験したことを話した。

大分心配そうな声、そして笑いを交えて、「本当に大丈夫」と聞いてきた。

「今はもうなにも・・大丈夫だ」と答えた。

電車に乗り、いつものように、電子辞書を開き、小説を読み、そして関空に着いた。

職場まで歩くのも通常だ。

もう何も心配ない。日ごろの自分を取り戻した。

身体の中から、嬉しさと、喜びが溢れてくるのを感じながら、歩き続けた。


これからは自分を信じないようにしよう。

もう、完璧な自分は無い。

石橋をたたいて確認し、そして再度たたき、メモをもう一度見て、そして歩もうと思った。


来年はどうなるのだろう。

来年もボケノートに記録し、自分のボケ具合を確認したいものだ。







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