読書感想:夏目漱石 「行人」



12月19日(金)から読み始めた。
12月29日(月)16:48読了した。

「行人(こうじん)」を読んでいる時、なんで、この題なんだと思いながらまたまた読んでいた。

しかし、中間まで読んでも「行人」らしき言葉は見つけられなかった。

我慢が出来ず、今読んでいる、カシオの電子辞書で検索してみた。

こうじん【行人】広辞苑
小説。夏目漱石作。1912~13年(大正1~2)朝日新聞に連載。自己中心の生き方をする長野一郎を通じて、自意識に悩む知識人の孤独を描く。

もう一つのこうじん【行人】
①道を歩いて行く人
②旅行をする人。
③使い。使者。


更に「ぎょうにん」を検索してみた。

ぎょう-にん【行人】広辞苑
①仏道を修行する人。行者(ぎょうじゃ)。

日本歴史大辞典では
山岳寺院で学侶(がくりょ)に仕え、堂塔の管理、仏への供花(くげ)などを行う人。以下略

そうか、そうだったのか。

夏目漱石を読む以前は「ゆくひと」とよんでいたが、正式なタイトルは【行人こうじん】だったんだ。



納得。

自分なりに納得。

漱石は旅行をすると、使い、使者そして仏道を修行する人とをたぶんだが、かけたのだろう。


最後の方で兄、長野一郎が同じく大学の教授をしている同僚Hと旅行に出かける場面がある。

その旅行が【行人こうじん】


そこには、ぎょうにんと言う文字は無かったが同じ意味があった。

大学教授の同僚Hが二郎に出した、手紙の中にあった。


何をするのも厭

同時に何かしなくてはいられなかった。

26時中何をしても、そこに安住するのができない。

何をしても、こんなことをしていられないという気分に追いかけられる。

自分のしている事が、自分の目的になっていないほど、苦しい事はない、と兄さんは云います。


宗教に這入ろうと思って、這入り口が分からないで困っている人のように解釈して見ました。

「どうかして香厳(きょうげん)になりたい」

いっさいの重荷を卸して楽になりたいのです。

兄さんはその重荷を預かって貰う神を持っていないのです。


小説て本当に面白い。

兄一郎が妻の直(なお)の本心をさぐるため、弟二郎に直を誘惑せよと頼む場面がある。

ふつうはそんなことはしないだろう。しかし、頭を病んでいると思われる一郎は真剣なんだ。

弟二郎はそんな兄をみかねて、兄の友人のHに兄と旅行に行き兄の本当の姿を逐一報告してほしいと頼む。

そして、最後の部分がそのHからの長い手紙で終わっている。

その後兄一郎はどうなったんでしょうか。

気になるところではあるが、もう続編は書けないし、無い。


自分の頭で想像しようと思った。


読み終わってすぐに、次のを読み始めた。

それは同じく夏目漱石の「坑夫」年内に読めるだろうか。








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