1月3日から読み始めた。
やっと、読み終えたのは、1月12日。
読み終えるのに時間がかかり過ぎた。
反省。
これでは今年の目標である、200タイトルは全く先が見えなくなる。
私は仕事の日だけ、小説を読む。
仕事の日の隙間時間に小説を読んだり、自分の好きな本を読む。
なんで読み終えるまで、10日間もかかったのか検証してみた。
3日から読み始めた。
仕事の日は明けを除いて、7日、11日。
初日の3日は「坑夫」を読み終えてからなので、半日。
つまり、二日半で「彼岸過迄」を読んだことになる。
そこそこ長編なので、二日半なら良しとしなければ。
「彼岸過迄」は1912年1月1日から4月29日まで、朝日新聞に連載されたそうだ。
「修善寺の大患」後、初めて書かれた作品。
読み終わって、いつものことながら、須永市蔵と田口千代子のその後はどうなったのか知りたいと思った。
二十歳そこそこの若き人なら思うだろう。
許嫁で女も自分を好きで、自分も嫌いではない、周りも認めている。
なんで、悩む必要があるのか。
そこが、小説。
「彼岸過迄」は6つの構成になっていた。
風呂の後
停留所
報告
雨の降る日
須永の話
松本の話
「風呂の後」では田川啓太郎という、主人公が出てくる。
同じ下宿に森本という、30過ぎの男がいるが、夜逃げ同然で出張と称して、満州の大連に行った。下宿に残したステッキを啓太郎にあげると、手紙が来た。
このステッキは蛇の頭を森本自身で彫刻した自作のステッキだ。
このステッキがその後の話しによく出てくるが、森本の出演はここまで。
その次は「停留所」
ここがおもしろかった。
須永に就職の口を紹介された、田口に頼まれ、探偵の真似をする。
結末は田口の娘、八千代と叔父さんである松本恒三が駅で待ち合わせをしている所を探偵をした。其の事は後々の話しで松本にばればれであった。
「報告」
田口に報告した時に、その探偵をした松本に会う事になり、紹介状を書いてもらった。
「雨の降る日」
雨の降る日に松本に会いに行った。
しかし、玄関まで行ったが、書生に松本の意向で、雨の日には会う事は出来ないと、断られた。
たぶんだが、漱石の子供雛子が一歳で急死したことの思いが書かれているのだろう。
小説の中で八千代が世話をしていた「宵子」が突然、亡くなるシーンがある。
亡くなり、通夜、焼き、葬式、の文章を読んでいると、淡々としているが、悔しさと、子供に対する愛情が感じられた。
「須永の話」
ここからは主人公である、啓太郎の話はもう出てこない。
啓太郎のイメージさえ確立していない所なのに、もう出番は無い。
須永市蔵の屈折した八千代に対する思いや、母親にたいする思いがつづられている。
八千代と一緒になればと思う。
しかし、それが出来ない。
出来ないが、高木に嫉妬する。
子供が自分のものだと思っている物を、他人に取られることを、嫌がり、駄々をこねているみたいだ。
「作」という、19歳の小間使いの話が出る。
現代の小説では何か、「作」と起こりそうなものだが、起こらない。
本棚を片付けている時に、昔、友人から借りて返していない、小説本を棚の後ろから発見した。
この本の内容が今の須永市蔵と八千代、高木の関係に似ていた。
八千代は市蔵が嫌いではなく、好きである。
しかし、八千代が何度も思わせを送っても、市蔵は知っているが反応しない。
八千代は自分から結婚をしてくれと云わず、須永市蔵に対して「あなたは卑怯と云った」
「松本の話」
ここで、須永市蔵が八千代を拒む理由が出てきた。
市蔵は母が産んだ子では無かった。
父が下女にうました子だった。
この負い目が八千代を拒む理由になったんだろう。
最後に市蔵が関西を旅行して、だんだんと自分を追い詰めるのではなく、「浮気」をする、心を持っていく、所で終わっている。
そして、主人公「田川敬太郎」のこの話にあまりかかわらなかった言い訳も。
るるぶ 東京観光を買った。
小説を読みながら、東京の地名が出る度に、るるぶの東京地図で確認した。
だいぶ、東京地図の概念が分かってきた。
今年は5月までに、必ず東京観光に行こうと思う。
漱石の小説にある所を全て見て見たい。
今日12日(月)は24時間仕事の明け。
JRの駅で半年の定期を買った。
1年ぶりだ。
1年間、毎月2、3回11枚つづりの回数券を買っていた。
面倒になってきた。
回数券と定期券は計算したら半年で1000円も違わないことを知った。
昨日で最後の回数券が終わった。
JRの窓口で77900円払い、定期を買い、更に5000円のチャージをした。
私の楽しみの一つ、夜勤明けの駅で飲む、小さな172円の缶チューハイをイコカで買うのだ。
これで、硬貨を使わず、ほとんど買い物ができる。
財布が軽くなる。
自宅に戻り、頑張ろうと思ったが、二三曲唄三線をした後、寝た。
反省!
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