1月12日に夏目漱石の「彼岸過迄」を読み終えた。
その次読むのは、同じく漱石の「道草」にした。
私が購入した、カシオの電子辞書には夏目漱石の小説が多数あった。
1 硝子戸の中
2 草枕
3 虞美人草
4 行人
5 坑夫
6 こころ
7 三四郎
8 それから
9 手紙
10 彼岸過迄
11 文鳥
12 坊っちゃん
13 幻影の盾
14 道草
15 明暗
16 門
17 夢十夜
18 倫敦塔
19 吾輩は猫である
20 私の個人主義
20タイトル入っている。
その20タイトルの中で、まだ読んでいないのが、二つ。
14の道草と15の明暗。
明暗は長すぎるから、道草から読むことにした。単純な決定である。
「道草」は朝日新聞に1915年6月3日から9月14日まで連載されたそうだ。
ネットで調べると「吾輩は猫である」執筆時の生活をもとにした漱石自身の自伝であるとされると・・・書かれていた。
生まれてすぐに、養子に出された。
しかし、姉が連れ戻したが、すぐにこの小説にもでてくる所にまたまた養子に出された。
つまり生家の夏目家では漱石は要らん子だったみたいだ。
この養父母は養父の浮気で離婚。9歳の時生家に戻る。
この養父に養父が死ぬまで、金の無心をされたことが、この「道草」に書かれている。
詳しくは知らないが、其の当時大学の講師やその他の仕事を掛け持ちしていたのだろうとおもう。
講義の準備のため、夜遅くまで書斎にこもりやらなければいけないが、金を無心くる養父に邪魔されたんだろう。「吾輩は猫である」の構想や執筆もその頃やっていたのではないか。
いろいろ想像しながら、今読んでいる。
今朝、出勤時の電車の中で読み始めた。
仕事の隙間時間が多かったので、小説全体の七割ぐらい読めた。
たぶん、明日には全編読めるだろう。
ただ、読んでいて、暗い。
夏目漱石のいらいらする気持ちや妻のヒステリーのこと、養父の執拗な無心が書かれていて、本当に私も読んでいて、いらいらするし、気持ちが暗くなる。
子供の鉢を蹴っ飛ばして、壊した所や、妻との気持ちのずれなどの表現は自分を飾らず書かれている。本当に心休まる日々ではなかったみたいだ。
それと、子供はたくさんいるがどの小説でも子供のことはあまり出てこない。
子供に愛情が薄かったのか。それとも亡くした子供を思い出したくないのか。
いずれにせよ、「坊っちゃん」や「吾輩は猫である」みたいに、心明るくは読めない。
しかし、今考えてみると 「吾輩は猫である」にも、其の当時の夏目漱石のいらいらが書き記してあり、猫の最後の結末も大きな甕の中に落ち、水死だ。
よくよく読むと、暗い 小説なのかもしれないと思うようになった。
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