読書感想:夏目漱石 「道草」



1月14日から読み始めた「道草」

今日、1月16日残り数ページとなっていたのを、夜勤明けの電車の中で読み終えた。


本当にすごい生い立ちを歩んできたんだ、と、思った。

こんな人生なんて、小説でもなかなか無い。

それを経験した。

生みの親から いらん子として、生後間もなく里子に出された。

いろいろ読んでいると、母親が高齢で出産したことを、負い目にし、愛情を感じず、里子に出されたという。

何歳なのか疑問に思い、調べて見た。

父が50歳、母が42歳とあった。

なんだ、そんなにも高齢ではないではないか。

数年前に亡くなった我が母親もたぶん末っ子を生んだのは40歳の頃だったと思う。

それで漱石は生まれてすぐ、四谷の古道具屋に里子に出される。古道具屋と云っているが八百屋と云う説もある。其の八百屋の片隅で寝ている漱石を見つけた姉が不憫になり、すぐに連れ戻したらしい。
しかし、すぐにまた養子にやられた。

それがこの小説に出てくる、「島田」と「御常」の所だ。


漱石36歳から37歳の頃、その時の勤めは 第1高等学校講師から東京帝国大学文科大学英文化講師になり年棒800円程もらっていたそうだ。

当時の教員の初任給が約11円とネットで調べると書いてあった。

漱石は約66円だから、一般の教員より約6倍も多い。

それから見ると、ゆったりした生活をしていたと思えるが、「道草」の中では「島田」に渡す為に知人から借金をする。

漱石は金に無頓着で高価な洋書や本を買いまくっていたのだろうと想像する。

自分の生みの親も没落して金を無心に来る。

妻「御住」の親も没落し金が無い。

腹違いの姉にも毎月小遣いを送っている。

養父そして別れた養母も金を無心に来る。


大学の講師として、講義のための予習をしなければいけない。

それ以外に小説「吾輩は猫である」を書き、それを何度も読み直し、赤ペンで修正しなければいけない。

明治36年10月漱石36歳の時、三女栄子誕生。

また、女かと嘆く、漱石の言葉が「道草」の中にある。

自分はこのふやっとした肉の塊に壊しそうで近づけないが、女親は異常な愛情を注いでいると書かれている。
漱石の頭の中は自分は講義、小説に集中したいのに、それを妨げるもの全てが嫌だったんだろう。

妻御住のヒステリーに悩まされたことが幾度も出てくる。

妻の本名は「鏡子」と云うそうだ。

初めての子を流産し入水自殺未遂したことを思うと、ヒステリーで悪妻とのイメージを持つ。

しかし、よくよく漱石のことを調べると、漱石は新婚時代に妾の所にいて、家に金を入れなかったそうだ。
そればかりか、すぐに切れて暴力をふるう「瞬間湯沸かし器」だったらいい。

あの右腕を右こめかみ付近にあて、物憂げに前を見ている写真から受ける印象とは全く違う、現実がそこにあったそうだ。


妻と子供には愛情を持った言葉をかけず、暴言を吐き、漱石を慕ってくる弟子や客には愛想よく、文学談や時事談を難しい言葉で語っていたと云う。



「道草」の本題の感想に戻ろう。

最後のページ付近で

健三は云う。

『世の中に片付くなんてものは殆どありゃしない、一遍起こった事は何時までも続くのさ、ただいろいろな形に変わるから他にも自分にも解らなくなるだけのことさ』

『健三の口調は吐き出すのも苦々しかった。』

『妻君は黙って赤ん坊を抱き上げた』


養父島田が死ぬまで、金の無心をされたそうだ。

たぶん、100円を渡した後も何度も何度も無心されたのだろう。




次読むのもカシオの電子辞書にある、夏目漱石にした。

これが20あるタイトルの最後。

「明暗」で漱石を読むのも、終了だ。

「明暗」を読んだ後はまだ決めていない。





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