死を意識する


自分の死期を意識し始めたのはいつだろうか。

仕事をしながら、ふとそんな思いが頭の中にわいた。

たぶん60歳前後ではなかったか。

親父が亡くなったのは62歳。

私も後2年か。

そう思った記憶がよみがえってきた。

62歳になり、63歳になった時、「あ~やっと親父の生きた長さを超えた」

これからはどんどん生きて、母親の生きた年を超えようと思った。

今年、66歳になった。

後、10年もすると80前か。

本当に元気で自分の思い通りに、畑仕事や庭木の手入れ、旅行などに行けるのは、この10年間かもしれない。

残りの人生は本当に少なくなったもんだと感じる。

一瞬、一瞬を悔い無く生きて生きたいものだ。

常に現状より進歩を目指したいものだ。

趣味の農業でも、もっと良く出来る方法は無いかと常に考えたい。

自分の考えで思いつかなければ、多くの方々の知恵が詰まった「本」を買い、熟読し畑で実践したい。
ネットも利用し、常に新鮮な考えで行動したい。

もう一つの趣味、「唄三線」も継続し続けたい。

読書も金を惜しまずに読みたいと思ったら即買い、読もう。

旅行も出来る限り行きたいものだ。

しかし、今の仕事をしている限り自分の好きな日に休めない。
有給休暇なんて無いみたいなもんだ。
仕事を辞めようかと考えているが実行に移せない。
もうしばらく悩む日々が続きそうだ。

なかなかうまくならないが、英語の勉強も続けたい。
やっとなんとか分かりかけてきた感じがする。


残された年は少ない。

これからは今まで以上に日々を大切にしたい。

●不平不満を言わないようしよう。
●他人の悪口、噂話に乗らないようにしよう。
●世のため他人のために何かできないか考えよう。
●自分を信じ、自分を貶めることなく、楽しく前向きに行動しよう。
●他人のことで悩むことが無いようにしたい。他人は他人、自分は自分、仕事は仕事。
●家族との対話をもっとしなければいけない。

なにかをしなくても、しても、死は全てにやってくる。

そうであれば、楽しく充実した日々を死の直前まで得たいものだ。


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