評価の差


どこから生まれてくるのだろう。

何かを評価するとき、何かを基準にする。

その何かから、こう逸脱しているから、こうなのだと。

私自身が何をやったのか、何をやらなかったのか。
彼が何をやったのか、何をやらなかったのか。

評価する立場の人と、評価される立場の人がいる。

自分が、今まで良かれと行動してきたことが、評価する立場の人たちに評価されていないことに気付く。
頭の中でどう理解すればいいのか、しばし思考する。
しかし、自分の理解力では無理と知った。
あからさまの評価の違いの表現が自分の理解度の限界を超えていた。


やめようかと思った。

やめてどうする。

やめてその評価が変わるのか。
たぶん変わらないだろう。

自分から逃げることは止めにした。

たんたんと生きよう。
たんたんと仕事しよう。

自分の人生だ。
自分で決めよう。

会社の評価が最低でも、あからさまの評価の現実の仕打ちでも、受け入れよう。

今まで自分が勤めてき、生きてきた、仕事人生と全く違う会社と思えばいい。

その会社の方針にあわすだけだ。

残り少ない仕事人生。

自分の人生だ。

会社の仕打ちで、自分の人生を無駄にはしたくない。



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