ベトナムホーチミン旅行初日 その2 戦争証跡博物館と中央郵便局


統一会堂の次は戦争証跡博物館に向かった。
ベトナム戦争で起きた残酷な仕打ち、非人道的な数々を写真で紹介していた。



ベトナム戦争は勿論私が物心ついてから起こった。
ベトナム戦争の話をする前にベトナムの歴史について調べてみた。
タイを境に西はイギリス東はフランスが植民地化した歴史がある。
ベトナムは1863年にカンボジアを保護国化したのち、1884年ベトナム全土をフランスの植民地にした。
1899年にはベトナム、ラオス、カンボジア全体がフランス領インドシナ連邦になる。
1930年にホーチミンがベトナム共産党を結成。
1940年日本軍ハイファンに進駐
1945年3月9日仏領インドシナのフランス軍を武装解除。
1945年3月11日ベトナムの独立宣言。
1945年3月13日シアヌーク国王カンボジア独立宣言。
1945年4月8日ラオ独立宣言。
1945年8月15日日本無条件降伏。
1945年9月2日ホーチミンがベトナム民主共和国独立宣言。
1946年~1954年インドシナ戦争、フランスはベトナムの独立を認めず、ベトナムと戦争。
1954年7月21日ジュネーブ協定 北緯17度線で南北に分断される。
そして、ベトナム戦争。
1964年8月2日トンキン湾事件
1965年2月7日米軍による北ベトナム爆撃開始。北爆が始まる。私が16歳の時だ。
1968年3月16日「ソンミの虐殺」米軍がベトナム中部のソンミ村で住民500名以上を無差別虐殺。
1969年9月2日ホーチミン氏、死去 私が20歳の時だ。
1973年3月29日ベトナムからの米軍撤退完了。
1975年4月14日ベトナム共和国(南ベトナム)大統領ティエウは海外亡命。南政権自壊。
1975年4月30日北ベトナム正規軍、サイゴン突入、南北統一。私が24歳の時。

戦争が大好きだと言う方はいないと思う。
しかし、昔から戦争は繰り返されてきた。
国を守るにはそれなりの武力を持ち、国を構成している国民が自分達で自分たちが住んでいる国を守らなければいけないという強い意志を持たないといけないと私は思っている。
イギリスの産業革命から圧倒的に力をつけた欧州の各国は比較的遅れたアフリカや中東、アジア、南北アメリカの地域国々を植民地化した。
この世界の国々で他国の支配や植民地にされなかった国は何か国あるのか。
独立を取り返すこと、そして、それを保つことは、本当にすごいことです。

ニュースで何度も見た、「安全への逃避」沢田教一氏のコーナの写真を見て、改めて壮絶な戦争だったんだと思った。
米軍がジャングルを焼き払うために上空から蒔いた枯葉剤の影響で生まれた方々のその後の苦しみを思うと涙がにじんできた。

戦争証跡博物館を後にし、中央郵便局に向かった。


ホーチミン市の観光建造物の一つらしい。
韓国客や人通りが多かった。


この建物はフランス人建築家によって1886年から1891年に建てられたそうだ。
コロニアル建築と言われ、今でも中で実際に業務が行われていた。



中に入ると、観光客であふれていた。
外国人も多いが、地元の人たちも多いと感じた。
正面にはホーおじさんの肖像画が掲げられていた。


旧正月が迫っているせいか、中央郵便局前の広場では、アオザイで着飾った女性の方々が記念撮影をしていた。


何を書いているのかわからないが、新年を迎える喜びと、今年も幸せに暮らせますように、そして、いい人に出会えるように・・等々書いてあるのだろう。


戦争の無い、平和なベトナムがいつまでも続くように、私も願った。

この写真の方々に今の幸せが、いつまでも続きますよう、心から祈っています。



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