10月10日に4冊本を注文した。その中の一冊が、角田光代著の《八日目の蝉》。
角田光代氏の代表作はウィキを読むと5冊あり
①キッドナップ・ツアー 1998年
②対岸の彼女 2004年
③八日目の蝉 2007年
④紙の月 2012年
⑤私の中の彼女 2013年
《八日目の蝉》代表作といわれるだけあって読みごたえのある本だった。
私の初孫は3年前に生まれた。生まれてから1週間後に我が家に、かわいい初孫は若夫婦に連れられてきてくれた。
子育ての大変さは二人の子供を持つ私は十分知っている。
2時間おきに大きな声でなき、ミルクを飲ませ、げっぷをさせ、泣き止むまで抱いて、部屋や廊下をうろつく。私が仕事休みで家にいるとき、夜中に孫が泣くとバーさんは私にじぃじー出番やでとソファーに寝ている私を起こしに来る。
初孫の母親(娘)とその親のバーさんの苦労はよく知っているから、私は喜んで孫の面倒を見たものだ。
赤ちゃんは最初の一月、3カ月、6カ月が本当に大変だ。
野々宮希和子は生後6カ月の赤ちゃんを誘拐した。
子供を育てたことがない若い彼女にとって、その後の大変さは想像もしなかっただろう。
友人の家に転がり込み、その後、名古屋、名古屋からバンで奈良へ、奈良を脱出しタクシーで十三。新大阪駅から岡山へタクシーでフェリー乗り場へそこから小豆島へ。
小豆島に着き、沢田さんが住んでいる、草壁港へ・・・さらに続く。
逃避行はひたすらに娘《薫》と一緒にいたい一心だった。
私がこの小説を読んでいる中で一番感動し、涙があふれてきたの場面は奈良の施設から逃げる途中に見た星の場面。
『私はこの子からそれらをすべて奪ってきたんだ・・・
これから私があなたに全部あげる。今まで奪ってきたのものを全部返してあげる。
海も山も、春の花も冬の雪も。』
涙があふれてどうしようもなかった。
生きていくだけの施設の中で、この子の人間としてのすべてを・・奪ってきたことに気づく。
一番楽しかった小豆島での生活。近所の子供たちと一緒にふれあい、神社仏閣を巡った。
蝉の文字が現れたのは小豆島で幼い4人の子供たちが蝉の抜け殻を見ているところだった。
第2章で再び蝉が出てくる。
蝉は地上に出てほとんどの蝉が七日で死ぬ。
八日目の蝉は知っている人はいなくなり、孤独の世界に過ごすことになる。
でも、八日目に素晴らしい世界を見るかもしれない。
希望がある。
この小説の題名が《八日目の蝉》と名付けた意味が分かる気がする。
たった一枚の写真から幸せは崩れた。
刑期を終え、転々とし、最後に岡山に、ビジネスホテルの清掃の仕事帰りにフェリー乗り場に行くのが日課になった。
フェリー乗り場の座席で見知らぬ妊婦と連れの姉を見ているが、妊婦が薫だとはわからない。
切ない場面だ。
また、泣けてくる。
私も年を取って涙もろくなってきた。
希和子は両手を空にかざしてみる。
いつか自分も海を渡ることができるだろうか。
私は思う。
出来るとも、八日目の蝉の素晴らしい世界を見るのだ。
薫とも会えて薫の子供とも会えて、和解し心休まる日々を生き続けることだろう。
本当に泣ける小説だった。
誘拐が悪いに決まっている。
許されないこともわかっている。
でも、希和子を応援したい。
希和子と薫のこれからに幸あれ。
後の4冊も注文して読もう。
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