2009年11月29日日曜日

貸し農地:タマネギを植えた・・思い出す20代前半の頃


















11月28日(土)タマネギ植えが完了した。

第1貸し農地の半分くらいがタマネギになった。

今日植えたのは晩生のタマネギ。

タマネギは収穫まで時間がかかる。

来年の5月半ばから6月初旬の収穫だ。

半年以上収穫までかかるが、タマネギは冬野菜の白菜やキャベツと違い長持ちする。

今年の6月に収穫したタマネギがまだ第1貸し農地の小屋に二つ吊っている。



タマネギの料理の幅は広い。

刻んでサラダにしても
野菜炒めに入れても
みそ汁の具でも
ぶつ切りにして天ぷら、これが最高。

タマネギの天ぷらを食べるたびに思い出すことがある。

昔昔・・・
学生時代に大阪の港区弁天町のアパートに住んでいた。
このアパートの前の十字路の交差点は点滅信号でよく大型トラックが衝突し夜中に起こされたものだ。
6畳一間に同じ大学に通う友人と一緒に半年ほど暮らしていた。
私が友人のところに転がりこんだのだが。
風呂上りによく友人と一杯飲み屋に入った。
そこで食べたタマネギの天ぷらのうまいこと。
日本酒には最高にあう。

その時の友人は二つの名前を持っていた。
寄兼と田中。
数日前名護を歩くで書いた、名護の酒場で二人でたらふく飲んだ友人だ。

黒のサングラスがよく似合い、男前の奴だった。

タマネギの話に戻ろう。

今植えたタマネギの次の作業は2月まであまりない。

約一月後に追肥し、2月ごろに最終の追肥をするだけだ。
あ、そうそう収穫までの期間が長いので、草取りはしなければいけない。

昨年草取りが大変だったので、今年は半分ほど黒マルチをした。
半分はマルチをせず普通に植えた。
どちらがよくできるか検証したい。

マルチは草取りは必要ないが、植えるのに手間がかかる。
そして、追肥もやりにくい。(追肥を含めて全体の施肥量の約80%をいれているので追肥は必要ないかも)

マルチをしていないところは草取りが大変だ。

いずれにしてもタマネギは作りやすい。
病気も少ないし、害虫も少ない。

来年の収穫が楽しみだ。


いつも訪問いただきありがとうございます。




明日は沖縄名護の名護城(なんぐしく)の写真をいっぱい投稿しようと思ってます。


追記
大阪も少し寒くなり、やっと冬らしくなりました。
もうすぐ、12月。
景気が悪いが、私が勤めている会社はボーナスが出るらしいです。
よかった。
これで年を越せる。




2009年11月28日土曜日

ハゼの木の紅葉
























私の天敵ハゼの木。

ハゼの木と知らず農機具置き小屋の土台にした。

私に3度も強烈なハゼの木のかぶれで仕返しをしたハゼの木だ。


美しい紅葉を見せてくれている。


今日タマネギ植えの合間に小屋横を見ると曇り空が一瞬晴れハゼの木の紅葉に太陽が当たっていた。
あまりに綺麗だったので胸のポケットに入れている愛用のオリンパスのデジカメで一枚撮った。





2009年11月27日金曜日

貸し農地:予定は一つも完了できず




今日の予定は・・

①落ち葉取り→×
②タマネギ苗本植え→△
③スナップエンドウ植え→×
④サンルームモデルルーム見学→×


と、前日書いた。


しかしその項目の一つもできなかった。


私はいい加減なやつです。

今朝は6時に起きた。
外はまだ暗い。

11月25日に中途半端に投稿を終えた『沖縄 名護を歩く』の続きを入力し始めた。

沖縄 名護を歩く  その続きも


入力していると、いつの間にか裏山に行って落ち葉をとることを忘れてしまった。

沖縄 名護の入力を終え、昨日の晩飯の残り≪おでん≫を朝飯とし、食べた後すぐに畑に行った。



畑に着き、晩生のタマネギの苗の数をおおよそ数えた。

以前黒マルチをした畝だけでは植えきれない。

何も植えていない所を耕しタマネギ畑にしようと思った。



1㎡あたり一握りの苦土石灰(約100グラム)と油粕をまき、そして相方が持ってきたEMボカシを同じく1㎡あたり一握り半まいた。

その後、スコップで耕した。

耕し途中、第2貸し農地でジャガイモの土寄せをしていた相方が大声で私を呼んでいる。

左隣りの約30m先には隣りで同じく貸し農地をされている方が一輪車で肥料を運んでいる姿が見えた。
昨日、貸し農地仲間での雑談で鶏糞を買に行くがふくーさんは何俵いると聞いていたことを思い出した。5俵ほしいと言った、それが今日だということを完全に聞いていなかったのだ。

耕しをすぐ止め、約100m離れたところに停まっている肥料を積んだトラックに向かった。

トラックの停まっている近くで畑をされている方が一輪車を貸してくれた。≪ありがたいことです。≫

その一輪車に一袋20キログラムの袋を三俵積み第2貸し農地の小屋に向かった。
一輪車を使うのは初めてだったので、バランスをとるのが難しかった。
畦道の右にある水路に落とさないように慎重に車を押した。

肥料運びが完了し、再びタマネギの畝を耕した。





12時前に耕しが完了した。






午前中の作業はこれで終わった。


自宅に戻り昼飯を食べていると、車が帰ってこないと連絡があった。

昼からの予定、モデルルーム見学は駄目になった。

先日借りたレンタルCDの返却期限を見ると今日だった。
沖縄名護に行く前日、お墓のDVDを作るため、夜勤明けに駅から2キロのレンタル屋さんで初めて借りたビギンの涙そうそうを返さないといけない。

昼飯を食べながら薄めの焼酎を飲んでしまったので、バイクは乗れない。

レンタル屋さんは自宅から約4キロもあるので酔いがさめてから自転車で行くことにした。
行きは下り坂で楽楽だった。

前回借りた、ビギンのシングル大全集と島唄の嵐沖縄ベスト2枚を返した。

今回借りたのは
岩崎宏美、小田和正、つるの

帰りは約4キロの坂道をひたすら漕ぎまくった。
変速ギアがあったので少しは楽だったが。

帰ってから畑に行く時間はもう1時間半も残っていなかったので、行くのはやめた。

パソコンに取り込みながら、ラジカセで今借りた曲を聞いた。
いいね、音楽は。

今日は Apple iPod nano 16GBをアマゾンに注文した。
明日届くそうだ。

明日届いたらすぐにお気に入りの曲をiTunesからipodに取り込むぞ。

畑作業中、通勤の行き帰り、休憩中音楽三昧だ。


と、言うわけで、今日は何もかも中途半端な一日だった。


明日も休みだ。

必ずタマネギを植え終えるぞ!


いつも訪問いただきありがとうございます。
最後まで付き合っていただき本当にありがとうございます。








2009年11月26日木曜日

いい大根がとれた・・・追記:東村の山と水の生活博物館の渡久山さん















いい大根がとれた。










今年9月18日にまいた種がこんなに大きくなった。

新しく借りた第2貸し農地で初めての大根の収穫を記念して相方に持ってもらって記念写真を撮った。

もちろん全体をブログに載せるのは嫌がるので、トリミングした。


冬野菜て・・・
以前も書いたが、本当に種をまいてから収穫まで早いので
楽しみが次々とやってくるみたいでいい。



今日は24時間勤務明けで朝10時前に家に戻ってきた。

朝食をさっとすまし、すぐに畑に向かった。
ソラマメとグリーンピースの芽が出た3号ポットを持って。

畑にはいつものメンバーさんが来られていた。
約1週間ぶりにあったので、話が弾んだ。

タケノコ芋を少し収穫した。

この芋は通常の里芋と違って、本当に柔らかく甘くまったりとしておいしい。

沖縄、宜野湾の弟にも名護の兄貴にも、茨城の弟の家族にも食べて味わっていただきたい。
後、一週間ほどで全部収穫し送りたい。

畑から帰ってきて、風呂に入り、夕飯を食べた時薄めの焼酎を飲んだ。

いつの間にかカーペットのぬくもりで寝てしまっていた。
あっという間に3時間が経っていた。
もちろん寝ていたのでその間の記憶はない。

何か変な感じがした。


『名護を歩く』 の
続きを書こうと思ったが
今日は頭の働きが悪いので、大根になった。






いつも訪問いただきありがとうございます。


明日は休み。

朝早くから落ち葉取りに裏山に行きます。






追記
朝、仕事から帰ってきてメールを開くとコメントが多数あった。
皆様本当にコメントありがとうございます。

昨日、仕事をしながら、沖縄、名護中学校の同窓会のことを思い出していた。

本当に楽しかった。

もっともっと皆さんと話がしたかった。

誘いがあれば何時でも沖縄に飛んで帰りたい。
そして、中学、高校時代の友人と話をしたい。

沖縄の皆さん連絡くださいね。

追記の追記

昨日休憩中に画像検索をしていたら・・・
沖縄東村の山と水の生活博物館の職員さんが載っている記事に出会った。
そこでお世話になった渡久山さんの画像を初めてみた。

若くて美人で可愛かった。

別な記事を見ると名前の違っている渡久山さんに出会った。

つい最近渡久山さんになったのだと分かった。

ご結婚おめでとうございます。

次、沖縄に帰った時、東村の山と水の生活博物館に行って
生、渡久山さんにお会いしたい。

そして、あなたに今回のお礼をしたい。






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2009年11月25日水曜日

沖縄 名護を歩く  その続きも

 
 
 
11月22日(土)朝早くから名護の街を5時間歩きまわった。

北部病院横のコンビニでさんぴん茶を買い、ちびちびと飲みながらのウオーキングだった。
名護中学→お墓→名護高校→21世紀の森→津嘉山酒造所→飲み屋街→市場→ピンプンガジュマル→昔住んでいた所→同窓会会場ホテル→名護城

撮った写真は100枚を超えた。
あんまりいい写真が無いのが残念。

名護城の写真は次回に回し、今日は主に21世紀の森の写真です。




21世紀の森に着くなり、虹が見えた。

私と同じように、これはすごいとカメラを虹に向けている方がおられた。










この21世紀の森には日本ハムファイターズのキャンプで有名な野球場以外にも多数の運動場がある。
3連休とあって、どの運動場でも多数の方が集まって野球の試合をしていた。










野球場近くのスタジオエースさん。

同期の方が経営されている。

私が小さい頃住んでいた近くの写真館の息子さんで同じ歳です。
3年前私が家族で名護に帰った時、わざわざ幼馴染に電話していただき一席設けていただいた。

本当に感謝しています。

9時前にもかかわらず、きれいな着物を着た若い女性が何人か店におられました。
何かの記念写真を撮りに来られたのでしょう。




大きな地図で見る



21世紀の森の中間ほどに石の門があった。











門をくぐると











そこは闘牛場だった。







闘牛場の前は名護湾の砂浜になっていた。














おもしろいのを見つけた。

鳥が何羽も波打ち際に集まっていた。

魚を狙っているのだ。

川で狙うのは見たことがあるが海は初めてだ。






投稿する時間が無くなってきた。


続きは明日。

今日の仕事は明日まで続くので、明日朝になります。



急いで仕度しないと会社に遅刻だ!


ここから続きです。

昨朝仕事から帰ってきて書くつもりだったが、脳が活性化していなかったので今朝≪11月27日金≫になった。







津嘉山酒造所
≪つかやま≫と読む。
私は子供時代から≪つかざん≫と読んでいた。間違いと今日初めて知った。
この津嘉山酒造所にも名護にいた時の思い出がある。
小学校の低学年時代、私の親父が飲んでいたのは津嘉山酒造所の国華だった。その瓶がたまると袋に入れ津嘉山酒造所にもっていき瓶を買っていただいた。瓶を売った代金は私の小遣いになった記憶はないが。

もうひとつ思い出がある。

その頃短い期間だったが豚舎の一角を借りて豚を飼っていたことがある。
母親と津嘉山酒造所に行き酒粕を頂きそれを豚のえさに混ぜると豚の食欲が増しよく太ったと記憶がある。
学校から帰り、自宅の仕事を遅くまで手伝う毎日だった名護時代。
小学校の低学年時代、よく母親と一緒に豚の餌を一斗缶に入れ大西区にあった豚舎まで二人で運んだ。
この思い出の地津嘉山酒造所が重要文化財に指定された。
おめでとうございます。

本当にうれしい。

名護に帰る度、思い出が一つ一つ無くなっていくのを見てきた。
重要文化財に指定されたことで、私が生きている間は子供時代に見たそのままの津嘉山酒造所が見れることだろう。



津嘉山酒造所を後にして名護の十字路近くに入った。
←この道路を入ると中学、高校時代の級友が経営している医院がある。

当分の間休診しますと張り紙があった。

体が悪いのだろうか。

彼は私の知っている限り、かなり勉強が出来た秀才だ。

高校の初めごろだと思うが、深夜に彼の勉強部屋の電気がついているのをよく見たものだ。

まだ若い60歳だし、早く元気になってほしい。



名護の市場近くの飲み屋街。
大阪の学生時代に当時の友人と一度帰省し
友人と一緒にたらふく酒を飲んだ。

私は飲みすぎて、自宅まで後数百メートルの川べりの草むらで朝まで寝てしまっていた。
よく、ハブに咬まれなかったものだとここを見るたびにそのことを思い出す。

酒を飲んだ友人とは卒業以来会っていない。
民間の建設会社大和ハウスに入った後、東京で学校の先生をしていると20代の後半に聞いた。
この世を去るまでには会いたいものだ。



いつも訪問いただきありがとうございます。

追記
今日≪11月27日≫はこれから、畑に行き晩生のタマネギを苗をとり本植えする。
それが終わるとスナップエンドウを植える。これでほぼ今年植える作業は終了だ。
後は収穫作業と堆肥づくりのみになりそうだ。

昼からは、ホームセンターにサンルームのサンプルを見に行きます。
サンルームを作れ作れとうるさいので農作業がひと段落したらサンルーム作りにかかりたい。




2009年11月24日火曜日

お世話になりました、東村山と水の生活博物館に


















11月21日(土)関空kix8時5分発ANA1731便に乗り那覇空港okaに10時20分についた。
すぐに高速バス停②に行き10時45分発名護行きバスが到着するのを待った。
名護バスターミナルには12時30分に着いた。
兄貴が迎えに来てくれていた。
昼飯を食べすぐに東村に向かった。


大きな地図で見る

午後2時に東村山と水の生活博物館に到着した。

入口は駐車場の右(東)にあった。
中に入り男性の職員さんが応対していただいた。
前日電話で約束していたので、『大阪のふくーです』と言ったらすぐにわかってくれた。





私が写っている写真2枚を大判に拡大して準備していたのを私に渡してくれた。

間違いなく5歳頃の私である。

当時東村には同じくらいの男の子がいなく≪一人だけ覚えている男の子は私のいとこ、彼も60になった≫かわいい女の子が5から6人いることを覚えている。

写真を見てもだれかもちろんわからないが、いっしょに遊んだ記憶が写真を見ているとよみがえってきた。

≪自分では写真を見てたいして興奮しているとは思わなかったが、たぶん興奮していたのだろう。東村山と水の博物館を後にし大分経ってから気付いたことがあった。次回博物館に行った時、職員さんに謝り、支払したい。≫

冒頭の写真は、展示場入口の廊下です。

部屋の中に入ると大きな展示場になっていた。
≪そこは写真撮影不可なので写真は撮れません≫

東村の歴史、近くにいる植物、動物、鳥などが展示されていた。

マレツキーさんが撮った写真も多数展示されていて、55年前の東村の皆様方の暮らしがカラー写真で紹介されていた。

写っている、どのオバー達子供達もどこかで見たことがあるぞという方達が多かった。


東村山と水の博物館を出て親戚の姉さんの家におじゃました。
元気そうだった。

姉さんはいろいろ話をしてくれた。

ふくーが1年の夏に名護に行ってから、数年たちマレツキーさんが東村を訪れた。

その時、ふくーさんはどうしているのかと尋ねられたそうです。
もう一度会いたいと言っていたそうです。

私の名前があまりない名前なので覚えていたのだろうと思う。

いずれにしても光栄なことです。


本当に東村山と水の博物館の職員さんにはお世話になりました。

私の頂いた写真は私の一生の宝にします。

本当にありがとうございました。




いつも訪問いただきありがとうございます。






2009年11月23日月曜日

名護中学校第17期生同窓会・・・最高の時間だった!

 


最高の時間だった!


言葉では言い表せない感動を感じた。

お世話になった先生の顔を見ると、熱い涙が溢れ、思わず先生を抱きしめた。


盛大な同窓会だった。

150名以上の参加だと思った。

当時は10組あり、人数は学年で約500名ほどだった。
卒業生の30%余がこの宴席に集まったことになる。

私は沖縄を18歳で離れ、以来42年60歳になってしまった。
たまに沖縄名護に帰った時、顔見知りの方を探して名護の市街を何時間も歩きまわった。

しかし一度もその顔を見ることが出来なかった。



今回なつかしい顔に多数会った。

中学を卒業し高校3年間をずーと同じクラスで過ごした方達とも多数会うことが出来た。

たくさん、たくさん話をしたかったが何を話していいかわからなかった。



ただ会うことが出来た、42年ぶりに会うことが出来た感動でいっぱいだった。




各クラスごとに丸いテーブルがあった。

そこには大判になったクラスの皆様の写真と名前があった。

顔を見て、だれか分かったのは一人だけだった。

写真と顔を見比べて、全く変わった方が多かった。
同窓会に集まった半分以上が当時の面影を残していなかったのではないか。
校歌の斉唱があったが、私はその校歌さえも忘れていた。
時間はあっという間に経った。
出雲殿での同窓会終了後クラスの仲間と二次会に行った。
カラオケを何十年振りかに歌った。
私が歌った1曲目は、自分の声と音楽がはっきり聞こえなく、かなり音程をはずして周りの同級生の失笑をかってしまっただろう。
申し訳ない。
深夜12時過ぎまで、歌って、話をして、楽しんだ。
12時半ごろ私は翌日早くのバスで那覇に行き、大阪関西空港行の第1便に乗らなければならないからと、もっともっと居たかったがそこを後にした。
 
 




←名護中学校第17期同窓会はこのホテルで行われた。
朝早く起き5時間のウオーキングした時に写真を撮った。
玄関ホールをのぞいてみると、名護中学校第17期同窓会ともうすでに看板があった。





前回沖縄名護に帰った時、名護中学校の校門から写真を撮った。

今回は裏側から校舎と運動場を撮った。
当時の校舎はすでに取り壊され新しくなって大分経った姿だった。
運動場と校舎との段差が、あ、名護中学校だと、記憶がすぐによみがえる。




朝のウオーキングの最終場所、名護城(なんぐしく)から見る名護市街。

いい街です。




次ぎ、いつこの街に帰ることが出来るかどうかわからないが・・・
誘いがあれば何時でもなんとか都合をつけて帰りたい。

そして、昔の話をはなし、その後の話をはなし、今何を・・・と尽きること無い話を楽しみたい。

最後に今回の同窓会の幹事様方へ。
こんなに盛大な同窓会を開いていただき本当にありがとうございました。
大変な時間とご苦労があったと思います。
本当にありがとうございます。





いつも読んでいただきありがとうございます。

明日からしばらくは今回の沖縄行の報告をしたいと思ってます。

明日は東村博物館の話を投稿したい。
その次は名護市街と名護城の写真をたっぷり投稿。
その次も沖縄の写真。






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