2014年12月21日日曜日

ヤフーニュース 13文字


この二日間グータラをしている。

夜勤明けから、帰ってきて、翌日の今日まで、自宅から一歩も出ていない。

外に出ないだけでなく、自室の寝室とPCの置いてある居間とトイレバス間しか動いていない。


なぜか、何にもやる気が起きないのだ。

今年一年間、走り続けたせいか。

仕事休みは、サンルーム、農業、と、ゆっくり、だらだらすることなく動いた。

サンルームもまだまだやることはあるが、床も出来、ひと段落ついた。
農業もやることはいっぱいあるがすぐにやらなくてもいい、農閑期の12月。
自室や庭など一部ゴミ屋敷化寸前の片付けをしなければいけないが、力がいる。そして先送り。


心の中に「ゆっくりせよ」と云う声が聞こえる。
悪魔の響きだ。

従った。

腰が痛くなるほど、横になった。

そして、自室の布団にもぐり、溜まったDVDを見た。

そのDVDの中で、感動したのがあった。



カンブリア宮殿

爆走する国民的サイト!
これがネットの底力だ!
利益2000億円、国民的サイト 1秒に5万アクセスの裏側


私は天気と電車はヤフーだが、検索はぐーぐる、ニュースはぐーぐると産経だった。

この番組を見てから、すぐにニュースのお気に入りにヤフーニュースを加えた。

この番組で初めて知った。

13文字の秘密を。

何気なく見ている画面でも、多くの優秀な人材がかかわって、日々改良を加えている。
人を引き付けるのは何か。人が関心を持つきっかけは何か。見たい、開きたい、と、思わせる。

なにか、日本の伝統的文化、俳句や川柳の575や57577みたいだ。

日本の演歌の歌詞も文字数が俳句や川柳に似た数字になっていると感じたことがある。

心の中にすんなり入り、沁み込んでいく、字数があるんだ。

私の日記のタイトルもこれからは13文字にこだわり、つけていこうか。


番組の中で被災した東北の方々やそれ以外の方々もヤフーサイトに広告を出し、それが売上アップにつながり、生き残ることが出来たとあった。

ネットの力。

私は家電量販店に約30年勤めていた。

最初の頃もそして中頃もネットは無かった。

勤める終盤頃からネットが出てきた。

其の最初はだまされるのではとか、口座の金が全部抜きとられるのではとか、噂が絶えなかった。

しかし、今はどうだ。

店に行き、聞きたくも無い説明を聞き、そしてレジで待たされて、一日がかりで買い物。

そんなことは嫌だと。

ネットで買い物をする方々が増えてきた。

私もその一人だ。

退職してから、買った商品はほとんどネットだ。

ネットは文句は言わない。

それはありませんとは言わない。

価格を負けてくれと、云えないが、比較することはすぐできる。

何件も店を回り歩く労力は要らない。

すごいことだ。

そのネットの力を・・先見の目をもって開発し創業した孫さんや楽天、アマゾン等々に敬意の思いを持っている。

13文字の力。

何事も成功の裏には、凡人では計り知れない、発想と能力と努力がある。


ぐーたらも・・たまには、良い発見をさせてくれるものだ。




この歳になって、なにか、すごいことを、自分も、やれないかと、ほんの一瞬・・思った。


一日半ぐーたらした、成果が出て来たみたいだ。


でも、やれないだろう。



自分は自分が良く知っている。








2014年12月20日土曜日

電車の中で  おもらし



それは、出勤時の事だった。

乗り換え駅の日根野駅に着き、向かいのホームのすでに待っている関空行きの電車に乗った。

その前に話さなければならないことがある。

自宅駅に電車が到着した。

電車に乗り、窓際の扉の近くに立ち、電子辞書の蓋を開け、夏目漱石の「私の個人主義」をひらいた。

そこに、背の高いサラリーマン風の男が入ってきた。

そして、その男は窓際に立っている、背の低い私の所にやってきて、もっているカバンを押しつけた。それほど混んでいないが、何なんだと思った。

機嫌が悪くなった。

私の読んでいる電子辞書を上から目線で眺めている。

腹立つやっちゃな。

と、思ったが、どうすることもできない。

しばらくして、我慢できず、窓ぎわを離れ、数メートル先に移動した。

圧力に負けた。



電車が乗り換え駅の日根野駅に着いた。

電車に乗った。

また、窓際に立った。

何かが変。

靴が濡れていた。

背中のバックからポタポタと水滴が落ちている。

すぐに、電車から降りた。

バックの中を見た。

妻(さい)が入れた、水筒のふたが開いていた。

この水筒のお茶がリックサックの中にこぼれたのだ。

24時間勤務のための着替えの靴下、下着、ハンカチ3枚、それとティシュペーパー等々が全てずぶぬれ。

人生初めての経験だった。

電車の出発時間までには1分も無い。

確認してすぐ、電車に乗った。

りんくうタウン駅に着いた。

まだ、背中のバックからはポツポツと滴り落ちている。

私の歩いた後に、水の点滴あとも。

バックを開けた。

着替えのシャツで水たまりを拭いた。

それで、やっと滴り落ちた状態は終わった。


少々腹が立ったが、すぐに収まった。

腹を立てたらアカン。

こんなことを経験出来、ブログに記録できることを幸せと思わなければ。

カバンを押し付け、私の背より50㎝以上高みから、見ている人も、背が高いから仕方ないと思うようにした。

でも、事実は知らさなければ。

関空駅に降り、歩きながら、妻(さい)に電話をした。

水筒のロックがかかっていなく、リックの中、水浸しになったよ。

私も気をつけるが、あなたも気をつけてねと。


これからの一日を大事にしなければ。

電車で読み始めた、夏目漱石の「私の個人主義」をその日は読み終えた。

良いことを云ってますね。

夏目漱石は。







2014年12月19日金曜日

読書感想:夏目漱石 「私の個人主義」


12月19日、出勤時電車の中で読み始めた。


この出勤時、今まで生きてきて、一度も経験したことが無いことが、起こった。

これは後日、記録したい。



読み始めて、読み終えたのは同日、15:38分。

本当に感動した。

今から100年前なのに、今も、漱石が憂えたことが、続いていると思った。


「私の個人主義」は

1914年大正3年11月25日、学習院輔仁会にて夏目漱石が講演した内容です。

一日前に読んだ「硝子戸の中」の三十四の中にその講演を引き受けたいきさつや、その後、漱石のたぶんだが気分を悪くしただろうことが書かれていた。

漱石はそれ以前の講演を聞いた学生の一人が「なんでも解らなかったようですよ」と云ったことを、漱石が大学にいる頃教えたある文学士が来て話したことを気にしたことが書かれていた。
そして、今回の講演の終わりに、質問があれば自宅まで来てくださいと話した。


講演の内容は

どうして受けたか、身体の調子が悪く、延び延びになったこと。

そして、二三日前になって、何にかを考えなければならないという気がして、考えるのが不愉快なので、とうとう絵を描いて暮らしてしまいました。

日本の文豪の最高峰に位置する「夏目漱石」でさえ、何かを生み出す前には、プレッシャーから逃げていた、その姿を思い描くことが出来て、安心した。

前置きが終わって、本題に

ある御大名が二人、目黒辺りへ鷹狩りに行った。

そこで、あまりに腹が減り、たまたま見つけた農家の爺さん婆さんが秋刀魚を焼いてくれたのを食した。

その食べた秋刀魚があまりにうまかったので、後日、家来に作るよう命じた。

家来は躊躇したが、大名の命令なので丁寧に秋刀魚料理を作った。

しかし、その時大名とお客様はあまり腹が減っていなかった。

そして、「大名二人は、どうも秋刀魚は目黒に限るね、といったような、変な言葉を発したと云うのが話しの落ち」

腹がとても減っていた
農家に行った。
今までの料理と違うやり方で秋刀魚を焼いて、食べさせてくれた。
うまかった。

最高の学校で最高の教師に毎日教えられている、学習院の学生さん、

しかし、それでも、私みたいにな者を招き、講演をさせるのは、目黒の秋刀魚みたいなものだと
ひにくぽく話している。

坊ちゃんや漱石が東京大学を卒業して、高等師範に行くいきさつや、伊予の松山の中学校や熊本の高等学校に行ったいきさつが話されているのは漱石ファンには本当に面白い。

文部省から英国留学の命を受け、約3年間英国に行き英文学を勉強したいきさつも本音が語られていて本当に為になった。

『いくら書物を読んでも腹の足しにはならないのだと諦めました。こと時私は始めて文学とはどんなものであるか、その概念を根本的に自力で作り上げるほかに、私を救う道はないのだと悟ったのです。』

本を読んで、その作者を年代別に並べて、答えをかけと云う、テストにあきあきしたことが書かれて入れ面白い。

英国留学をして、自分なりの文学と云う何かを、求めるのが始まった気がした。


ここからが本題の第2編の

自己本位

自我本位

の主題に突入。

本当に良い事を話してます。

まとめきれる自信はないが、自分なりに、今後の生き方を、教えられた、と、云うより、あらためて自分の思いと同じだと、今の、自分の生き方に、自信を持ち、これを続けて行こうと思った。

今、この講演を聞いている方々、学習院に属している。
社会的に地位の好い人。上流社会の子弟です。

第1番に挙げるのは『権力』。

自分の個性を他人の頭の上に無理やり圧しつける道具。

権力に次ぐものは『金力』です。

これもあなた方は貧民よりも余計に所有しておられるに違いない。
この金力を同じくそうした意味から眺めると、これは個性を拡張するために、他人の上に誘惑の道具として使用得る至極重宝なものになるのです。

---

第一に
自己の個性を発展を仕遂げようと思うならば、同時に他人の個性も尊重しなければならないという事。

第二に
自己の所有している権力を使用と思うならば、それに附属している義務というものを心得なければならないという事。

第三に
自己の金力を示そうと願うなら、それに伴う責任を重んじなければならないという事、つまりこの三カ条に帰結するのであります。

夏目漱石はこの三カ条に自分の考えをまとめている。

権力と金力を持つ彼らは

自分の自我をあくまで尊重するような事を云いながら、他人の自我に至っては毫(ごう)も認めていないのです。

いやしくも公平の眼を具し正義の観念をもつ以上は、自分の幸福のために自分の個性を発展して行くと同時に、その自由を他に与えなければすまん事だと私は信じて疑わないのです。


我々は他が自己の幸福のために、己の個性を勝手に発展するのを、相当の理由なくして妨害してはならないのです。

--

元来をいうなら、義務の附着しておらない権力というものが世の中にあろうはずはないのです。
私がこうやって、高い壇の上からあなた方を見下して、一時間なり二時間なり私の云う事を---





夏目漱石は朝日新聞の文芸欄の担当をしていたと聞いている。

100年前にその夏目漱石が所属していた朝日新聞が大先輩である夏目漱石の事を忘れ、従軍慰安婦や原発吉田証言等々捏造と呼ばれるまでの記事を載せた。

そして、池上彰氏の朝日新聞に対する苦言を朝日新聞に載せることをしなかった。

夏目漱石はこの講演の中でこう言っている。

『私がかって朝日新聞の文芸欄を担当していた頃、だれであったが三宅雪嶺さんの悪口を書いたことがありました』

件に話されていた。

自分は云いたいことを言い、しかし、自分の批判は許さない。

これが今の朝日新聞と思った。


「私の個人主義」を読んで思った。

夏目漱石は云っている。

私のここに述べる個人主義というのもは、けっして俗人の考えているように国家に危険を及ぼすものでも何でもないので、他の存在を尊敬すると同時に自分の存在を尊敬するというのが私の解釈なのですから、立派な主義だろうと私は考えているのです。

もっと解りやすく云えば、党派心がなくって理非がある主義なのです。
朋党を結び団体を作って、権力や金力のために、妄動しないという事なのです。

もっと書きたいが、疲れてきた。


私が思ったこと。

自分の考えがこうだからと、他人に押し付けたらアカン。












2014年12月18日木曜日

リニア新幹線工事着工


今日の新聞のニュースで一番興味のあったのはこの記事だ。

JR東海リニア中央新幹線の工事着工

平成39年 東京品川⇔名古屋の開業を目指す


今、平成26年だから、予定通りなら13年後に開業か。

13年後なら、私は78か79歳。

まだ、生きている可能性が高い。


気になるのがいっぱいある

●航空業界はどうなる

●総額9兆円といわれる工事金額 JR東海が1社で持つそうだ

●地元負担金額は

●安全性は

●まだ決まっていないルートは


東京、名古屋間を40分で結ぶ。

名古屋付近から東京に行く旅客機は要らなくなるのか。

しかも2045年には東京、大阪間を最短67分で結ぶそうだ。
(31年後は96歳に、さすがにここまでは駄目だろう)

これが大変。

航空業界のドル箱の関西、大阪間の路線が危ない。

しかも、旅客機は出発の30分前までには空港に着いていないと、手続きやらで時間がかかる。

そして、たいがい空港は街のはずれにある。

そこまで行かねばならない。



日本にはANA、JALの大手以外に今問題となっているスカイマーク等多数の航空会社がある。

ANA、JALは資本があり、今から対策を練っていると思う。
これ以外の航空会社はたぶんだがこの2強の支配下に今以上に入り、生き残りを図るのだろう。


リニア新幹線は今、やっと工事着工したばかりだが、工事が本格的に始まり、数キロ、数10キロ、数100キロと完成し、試験運転まで始まると、航空会社は慌てるだろうな。

13年なんてあっという間だ。

自分にはあまり関係ないが、一寸、いや大分気になった本日の記事でした。





2014年12月17日水曜日

川を渡る夢を見ることが多い


それは、大きな川だった。

川幅がとてつもなく広い川だった。

しかし、深くは無い。

所どころに、深みはあるものの、渡れない川では無かった。

私はスーツを着て、カバンを持って、この川を渡っていた。

65歳になっても、なんでこんな仕事をしなければいけないのかと、考えながら、そしていつ深みにはまるのかと、不安を抱えながら、黙々と渡っていた。

もう辞めよう。

もう辞めよう。

この川を渡りきったら、この仕事を辞めるのだ。

渡りきる途中で目が覚めた。


まだ頭がはっきりしていなかった。

そうだ、もう私はあの仕事をしている私では無かったんだ。

いつも夢にうなされるのは、40数年前に学校を卒業して始めて就いた仕事だ。

よっぽど嫌だったんだと、今になって本当に思う。

よく、三年も続けたものだ。


しばらく、ぼ~としていたら、今現在の自分が分かった。

良かった。

もう昔の仕事をやっていないのだ。

今の仕事はあの頃から比べると、本当に楽だ。

この仕事をやっている今は本当に幸せだ。


あらためて、65歳になっても、楽しく仕事をさせてもらえる、会社に感謝の気持ちが湧いてきた。

身体が続く限り、会社がもう来なくていいよ、というまで、楽しく仕事をさせていただこうと思う。



2014年12月16日火曜日

何もしないでぐ~たら


今朝は雨だった。

そして気温は下がり、風も出てきて寒い。

夜勤明け、乗り換え駅に着くと、列車は乱れていた。

JRの説明によると、何者かが遮断機をへし折り、線路に入り、通過していた為、安全確認の為遅れているとのことだった。

不届き者がいるものだ。

安全が第1の公共交通機関だから、少々の遅れは仕方ない。

きっちり安全を確認してください。

相当遅れて自宅駅に着くと、雨だった。

歩かず、迎えに来てもらった。

自宅に戻り、何にもする気力がわいてこない。

だらだらとPCでニュースを読んでいると、ピンポンが鳴った。

タラバガニが届いた。

そして、すぐ後、別の便で酒が届いた。

両方とも私が受け取った。

タラバガニは2キロといっていたが、軽い。

2キロとは思われない。

まあ、こんなもんだと、自分に言い聞かせ、納得した。

妻(さい)は文句を言いながら、包装を破り、冷凍庫に入れた。

酒はもちろん重い。

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早速麒麟山 グリーンボトルを開け、飲んだ。

数年ぶりに飲んだ、日本酒。

まろやかな口当たりでうまかった。

布団にもぐり、溜め込んだDVD観賞を楽しんだ。

たまにはぐ~たらもいいもんだ。




2014年12月15日月曜日

読書感想: 夏目漱石 「手紙」


「門」を読み終え、今日から漱石の別な物を読もうと、読み始めたのが、「幻影の盾」。

10数ページ読んで止めた。

何が何だか分からなかった。

次に開いたのが「手紙」だった。

これはおもしろく、一気に読めた。

「手紙」は1911年明治44年に発表された。

夏目漱石が44歳の頃だ。

あんまり詳しくは知らないが「修善寺の大患」が1910年だから、その翌年の作品となる。

たぶんだが重吉は夏目家に書生として学生時代に一緒に暮らしていたんだろう。

これもたぶんだが、妻か夏目自身の縁故関係が有る、学生と思われる。

そして夏目家で暮らしている時に、佐野重吉は妻の遠縁の御静と知り合い、夏目夫婦に仲を取り持つように話す。

重吉は卒業して関西方面に友人の勧めで勤める。

しかし、自分で夏目夫婦に頼んでおきながら、煮え切らない態度を取り続ける。

夏目の奥さんが心配し、夏目が関西に出張する時の帰りに、重吉が住んでいるH市(たぶん広島市だと思う)寄って、重吉の今の気持ちを確かめてくるように、夏目に頼んだ。

重吉はある旅館に住んで、会社勤めをしていたが、夏目が訪ねた時にはもう引き払っていた。

たまたまその日は招魂祭で街中が人で混んでいた。

夏目もその旅館で泊まる部屋を訪ねたが断られた。

しかし、重吉が住んでいた部屋ならどうかと勧められ、泊まることに。

この部屋に重吉を呼び、話しをした。

重吉は真面目な書生から、酒をたしなむ人となっていた。


翌朝、何気なく引き出しを開けると、奥にひっかかっていた手紙を見つけた。

なんと、それは玄人らしき芸者さんから重吉宛の艶書だった。

結婚の条件でお静のほうは遊び人は嫌だと言っている。

この艶書をみると、重吉は少ない給料で遊ぶ金を作るために旅館を引き払い、もっと安い所に移ったのだろう。

10時過ぎの列車で立たなければならない。

時計を見るとまだ七時。

すぐに重吉を迎えにやった。

毎月10円を結婚資金に夏目の所に送るように要請した。
これを夏目は貯めて、いざ結婚の時に全部重吉に渡すとの約束をした。

そして、列車が発車する時、重吉に動く車中から、その手紙を渡した。

一月後10円送ってきた。

二月後も10円送ってきた。

三か月目は7円になった。

奥さんは重吉を擁護したが

夏目は言う

自分から見ると、重吉のお静さんに対する敬意は、この過去三か月間において、すでに三円がた欠乏しているといわなければならない。
将来の敬意に至ってはむろん疑問である。


小説はここで終わっている。

重吉とお静さんのその後はどうなったか、気になる所である。

私は思う。

お静さんは重吉と一緒にならない方がいい。

学校を卒業し、就職し、すぐに芸者遊びをするような、若者はどうしようもない。

自分が思うように未来はなると、思っているような超楽天的な性格は直しようがない。

一時的に真面目を装っても、地は変わらない。

結婚して、数カ月もしないうちに、夜遊びをおぼえ、毎日午前様だろう。




「手紙」を読み終え、次も短編の「文鳥」を読んだ。

これもすぐ読了した。

その次は「硝子戸の中」にした。
夏目漱石の寒い書斎からみる、自伝的随筆。
亡くなる約2年前の体調が悪い時に書かれたものだろう。