2009年11月24日火曜日

お世話になりました、東村山と水の生活博物館に


















11月21日(土)関空kix8時5分発ANA1731便に乗り那覇空港okaに10時20分についた。
すぐに高速バス停②に行き10時45分発名護行きバスが到着するのを待った。
名護バスターミナルには12時30分に着いた。
兄貴が迎えに来てくれていた。
昼飯を食べすぐに東村に向かった。


大きな地図で見る

午後2時に東村山と水の生活博物館に到着した。

入口は駐車場の右(東)にあった。
中に入り男性の職員さんが応対していただいた。
前日電話で約束していたので、『大阪のふくーです』と言ったらすぐにわかってくれた。





私が写っている写真2枚を大判に拡大して準備していたのを私に渡してくれた。

間違いなく5歳頃の私である。

当時東村には同じくらいの男の子がいなく≪一人だけ覚えている男の子は私のいとこ、彼も60になった≫かわいい女の子が5から6人いることを覚えている。

写真を見てもだれかもちろんわからないが、いっしょに遊んだ記憶が写真を見ているとよみがえってきた。

≪自分では写真を見てたいして興奮しているとは思わなかったが、たぶん興奮していたのだろう。東村山と水の博物館を後にし大分経ってから気付いたことがあった。次回博物館に行った時、職員さんに謝り、支払したい。≫

冒頭の写真は、展示場入口の廊下です。

部屋の中に入ると大きな展示場になっていた。
≪そこは写真撮影不可なので写真は撮れません≫

東村の歴史、近くにいる植物、動物、鳥などが展示されていた。

マレツキーさんが撮った写真も多数展示されていて、55年前の東村の皆様方の暮らしがカラー写真で紹介されていた。

写っている、どのオバー達子供達もどこかで見たことがあるぞという方達が多かった。


東村山と水の博物館を出て親戚の姉さんの家におじゃました。
元気そうだった。

姉さんはいろいろ話をしてくれた。

ふくーが1年の夏に名護に行ってから、数年たちマレツキーさんが東村を訪れた。

その時、ふくーさんはどうしているのかと尋ねられたそうです。
もう一度会いたいと言っていたそうです。

私の名前があまりない名前なので覚えていたのだろうと思う。

いずれにしても光栄なことです。


本当に東村山と水の博物館の職員さんにはお世話になりました。

私の頂いた写真は私の一生の宝にします。

本当にありがとうございました。




いつも訪問いただきありがとうございます。






2009年11月23日月曜日

名護中学校第17期生同窓会・・・最高の時間だった!

 


最高の時間だった!


言葉では言い表せない感動を感じた。

お世話になった先生の顔を見ると、熱い涙が溢れ、思わず先生を抱きしめた。


盛大な同窓会だった。

150名以上の参加だと思った。

当時は10組あり、人数は学年で約500名ほどだった。
卒業生の30%余がこの宴席に集まったことになる。

私は沖縄を18歳で離れ、以来42年60歳になってしまった。
たまに沖縄名護に帰った時、顔見知りの方を探して名護の市街を何時間も歩きまわった。

しかし一度もその顔を見ることが出来なかった。



今回なつかしい顔に多数会った。

中学を卒業し高校3年間をずーと同じクラスで過ごした方達とも多数会うことが出来た。

たくさん、たくさん話をしたかったが何を話していいかわからなかった。



ただ会うことが出来た、42年ぶりに会うことが出来た感動でいっぱいだった。




各クラスごとに丸いテーブルがあった。

そこには大判になったクラスの皆様の写真と名前があった。

顔を見て、だれか分かったのは一人だけだった。

写真と顔を見比べて、全く変わった方が多かった。
同窓会に集まった半分以上が当時の面影を残していなかったのではないか。
校歌の斉唱があったが、私はその校歌さえも忘れていた。
時間はあっという間に経った。
出雲殿での同窓会終了後クラスの仲間と二次会に行った。
カラオケを何十年振りかに歌った。
私が歌った1曲目は、自分の声と音楽がはっきり聞こえなく、かなり音程をはずして周りの同級生の失笑をかってしまっただろう。
申し訳ない。
深夜12時過ぎまで、歌って、話をして、楽しんだ。
12時半ごろ私は翌日早くのバスで那覇に行き、大阪関西空港行の第1便に乗らなければならないからと、もっともっと居たかったがそこを後にした。
 
 




←名護中学校第17期同窓会はこのホテルで行われた。
朝早く起き5時間のウオーキングした時に写真を撮った。
玄関ホールをのぞいてみると、名護中学校第17期同窓会ともうすでに看板があった。





前回沖縄名護に帰った時、名護中学校の校門から写真を撮った。

今回は裏側から校舎と運動場を撮った。
当時の校舎はすでに取り壊され新しくなって大分経った姿だった。
運動場と校舎との段差が、あ、名護中学校だと、記憶がすぐによみがえる。




朝のウオーキングの最終場所、名護城(なんぐしく)から見る名護市街。

いい街です。




次ぎ、いつこの街に帰ることが出来るかどうかわからないが・・・
誘いがあれば何時でもなんとか都合をつけて帰りたい。

そして、昔の話をはなし、その後の話をはなし、今何を・・・と尽きること無い話を楽しみたい。

最後に今回の同窓会の幹事様方へ。
こんなに盛大な同窓会を開いていただき本当にありがとうございました。
大変な時間とご苦労があったと思います。
本当にありがとうございます。





いつも読んでいただきありがとうございます。

明日からしばらくは今回の沖縄行の報告をしたいと思ってます。

明日は東村博物館の話を投稿したい。
その次は名護市街と名護城の写真をたっぷり投稿。
その次も沖縄の写真。






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2009年11月22日日曜日

沖縄名護にて

今しがたウオーキングから実家に戻ってきた。

朝5時に目が覚めた。

7時から、ウオーキングに出発。12時10分まで名護を歩き回った。

お墓に行き、名護高校により、21世紀の森公園から、市内を横切り、名護城に登り、青年の家まで行きそして降りてきた。

5時間あまりのウオーキング。

疲れた。

相方に報告しようとポケットのヤフーの携帯を見ると電池切れだった。
携帯電話の充電器も持ってきていなかった。

写真をパソコンに取り込もうとしたが、ケーブルもかばんの中に入れていなかった。


画像は大阪に帰ってから投稿しよう。

いつも訪問いただきありがとうございます。


2009年11月21日土曜日

今やっと完成した

沖縄名護で8月28日にあった、お墓の落成祝いのDVDがやっと完成した。

本日の4時前からかかり、12時を回ってしまった。

実に7時間ちょっとかかった。

兄貴へのお土産はこのDVDだ。


明日から二泊三日で沖縄に行く。

初日、東村の博物館による予定だ。

私の5歳ごろの写真を焼き増ししてくれているそうだ。

博物館の担当者様の親切に心から感謝しています。



二日目は名護中学校の同窓会だ。

沖縄から出てきて、同窓会なんか初めてだ。

顔もほとんど忘れていると思うが・・・・
老い先短い60歳を超えたので、この機会を逃したら、というより
これが最後かもしれないから、ぜひとも行きたかった。


と、いうわけで帰ってきてからの投稿になります。




いつも訪問いただきありがとうございます。



明日5時起きなのでもう寝ます。
お休みなさい。

 
 

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2009年11月19日木曜日

貸し農地:晴れの予想が・・・雨になった





堆肥づくりを終え、朝食をとり、すぐに畑に向かった。

自宅庭で、種をまき、苗を作っていた絹さやエンドウの3号ポットを自転車の後ろに積んで。

第2貸し農地の小屋前に植えた。

ちょっと狭いが、条間50センチ、株間30センチの2条植えにした。

5個ほど足らなかったので、3個植えていた豆の苗を間引きしていなかったので、その一つを分け、足らないところに植えた。




今、植えて収穫は来年の5月半ばだ。

なんと半年以上先の収穫です。

冬野菜の白菜、パクチョイ、チンゲンサイ、大根、レタス等は植えてから2カ月もすると収穫時期を迎えるがエンドウは期間が長い。
同じ豆科でもインゲンなんかは3か月ほどで収穫できるのとは大違いだ。

半年先に絹さやエンドウの煮物を食べる楽しみが待ってます。




その次に寒冷紗を洗った。

今まで何日も畑横の用水路に水が流れてなかった。
今日の朝も同様流れていなかったが、絹さやエンドウを終えて水路を見ると水が流れていた。

これで土に汚れた寒冷紗を洗うことが出来る。

幅1.8m長さ5.5mの寒冷紗を7枚洗った。
農作業用のジーパンがずぶぬれになった。



次の予定、畑の水はけを良くするための溝掘りにかかった。

予定の半分ほど完了した時、雨が降ってきた。

今日一日晴れマークだったのに。

雨に濡れながら作業を続けた。

30分ほどたって本降りになった。


残念ながら今日の作業はこれでおしまい。

時計を見ると4時を回っていた。




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2009年11月18日水曜日

五日ぶりの休み・・・堆肥作りから始まった





5日ぶりの休みだ。

明るくなった7時過ぎから、50ccのバイクに乗って、落ち葉取りに裏山に行った。


この道は、朝ウオーキングされる方が多い。

たぶん一日100人以上この道を通るのだろう。

バイクを止め、道端の落ち葉をビニール袋に入れた。

白い糸状菌が出ている落ち葉が多数あった。

ビニール袋がいっぱいになると、バイクの後ろのボックスに入れ畑にもっていった。




何度も裏山と畑を往復した。

一袋開けるたびに、米ぬかを振りかけ、カンナくずを少し振りかけた。
その後EM1の1000倍希釈液をたっぷりかけた。

堆肥場に入り、雨靴で何度も踏み固めた。

踏み固めが終わり、堆肥場の内側にブルーシートをかけ、そして上に網戸を掛けさらにその上にブルーシートをかけた。

一日中裏山と畑を往復したいが、今日はその他の予定も多数ある。

堆肥作りは9時半に終了した。


朝飯を食べた後の予定は

①絹サヤエンドウを植える
②寒冷紗を洗って干す
③畑に溝を掘り、水はけを良くする
④虫捕り
⑤野菜の残渣を切り刻む


夕暮れまで畑で遊べそうだ。



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2009年11月17日火曜日

読書の秋:比嘉照夫著 微生物の農業利用と環境保全 続き・・・








『農薬を使用していない作物なら虫食いや病気になっても安全』
                   と
            いう考えは完全に間違い。

この言葉を病虫害対策の項目で見つけて感動した。

病虫害の多発は自家中毒である。
      ↓
自然界における病虫害の役割は
           ↓
端的にいえば生存不適なものを急速に排除分解し無機化することにある。



正常な状態からストレスや代謝系に狂いが生じ

         ↓

多量の中間的な還元物質を生成→一種の自家中毒→悪臭を発生し細胞や酵素活動を著しく低下させる。

          ↓

還元物質によって病害虫が誘引される。→腐敗型の土壌においては有機物が分解する際に有害な還元物質生成し悪臭を発することとなる。


ここからが続きです・・・・・。


私は誤った考えをしていた。

無農薬だから少しぐらい虫がついてもいい。

虫が食べた跡があるから・・・

虫が食うぐらいだから、新鮮だと思っていた。


それは違ったようだ。

この地球上から、早急に退散してほしいから、
虫はこの役目をおって、弱った、生存してほしくない野菜たちにつき食い荒らすのだ。

虫食いの跡があるのは、実は弱った野菜だったのだ。


無農薬で虫食いのない野菜を作ってみたい。

そのためには土づくりだ。

比嘉照夫先生はこの本で言っていた。

農業は自然任せでなく自然と対応する経済行為である。
                   ↓
有機物をやっておけばいいというものではない。
               ↓
理想的な土壌にすることが必要だ。
                   ↓
発酵合成型土壌にすることだ。→乳酸菌や酵母などを主体とする発酵微生物が優先する土壌。
      ↓
土壌に投入された未分解の有機物を高温もガスも発生せずに発酵的に分解すると同時に分解過程における有害な還元物質を合成的に有効的に利用する系である。
                ↓
                 ↓
                   ↓
              この土を作ろう!

これから3年後に、理想的な土にあふれる我が貸し農地を見るために!


これからすぐにかかること

①完熟堆肥を作ること
②有機液肥を作ること
③ボカシ肥を作ること
④ストチュウを作りすぐに畑に散布すること
⑤土が出来るまで、寒冷紗などの資材を使い外敵を防ぐこと
⑥畝間に緑肥を植えること
⑦コンパニオンプランツを勉強し実践すること


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